奈良岡:大倉財閥の創始者である大倉喜八郎なんかは、外国語もほとんどできないのに、岩倉使節団を追いかけるように洋行してしまいますからね。そのなかで人脈を作って、見よう見まねでいろんなものを勉強してしまう。明治期の彼らの姿勢をそのまま見習うのは無茶だとしても、その貪欲さには感心するものがありますね。
出口:はい。その意味では僕がいちばん驚いたのは、長崎の貿易商の息子として育った梅屋庄吉です。彼は16歳で店の金を持ち出し、密航して上海に行っているんです。16歳と言えばいまの高校2年生です。そんな少年が割とあっさり、一人で上海に行っているわけです。当時の上海の「租界」はグローバル都市で、梅屋少年はそこで「世界」そのものに触れたはずです。そのことは、彼のその後の人生を決定づける経験だったでしょう。
奈良岡:「吉野の山林王」と呼ばれた土倉庄三郎も、自分は奈良の山奥で事業をしているけれど、あの時代にお嬢さんを早くから留学させていますね。その土倉の娘・政子さんについては、実は僕も調べたことがあるんです。彼女の夫の内田康哉は陸奥宗光門下の優秀な外交官ですが、彼女自身も同志社に学び、アメリカで7年間学んでいる。これは当時の女性の中では、最も高度な教育を受けた一例でしょう。
出口:彼女は中国語も流暢に喋れて、西太后にも気に入られたそうですね。
奈良岡:はい。夫の内田康哉を駐清公使時代、外相時代と陰で支えた女性です。彼女の受けた教育の背景には、子供たちに限らず、周囲の人を外の世界にどんどん触れさせようとした土倉庄三郎の気風があったんですね。
出口:僕が「外」に目を向ける姿勢が大事だと考えるのは、今年からAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任したことも関係があるかもしれません。この四半世紀、日本のGDPの成長率は1%ですが、世界に目を向けると、同じ先進国のアメリカは3%、ヨーロッパでも2%の成長率なんです。これではジャパン・パッシングになっていくしかない、という危機感を僕は抱いています。今の日本の閉塞感の一因でもあるでしょう。
奈良岡:僕も大学で教えていると実感するのですが、そのことに危機感がない、あるいは、現状にあまり不満や問題点を感じていない学生が多そうなだけに、問題は根深そうです。
出口:だから僕は、今の状況を「精神の鎖国」と呼んでいます。1995年の時点では、日本からアメリカに行った留学生は5万人を超えていました。対して中国からは3万人弱です。それが今や中国からは35万人超、日本の留学生は2万人を切っている。これは若者の意識というよりも、社会全体に若者を外の世界へ送り出そうという雰囲気が希薄になってきているからだと思います。
奈良岡:海外に飛び出していく豊かさはあるのに、知らぬ間に気持ちの上での鎖国が進んでしまっている──。
出口:だから、APUでは近い将来、日本人学生全員を大学にいる間に留学させるためのプロジェクトチームを作りました。1か月でも観光ではない形で世界を見てくる。その経験が若いときには大事だと思うからです。