しかし、大平氏はその頃すでに亡くなっており、石破氏との接点はない。岸田派議員が言う。
「石破さんの狙いは宏池会(岸田派)の票だ。総裁選では最大派閥の細田派、麻生派、二階派がいち早く安倍首相支持を打ち出していたから、議員票を期待できるのは田中派の流れを汲む竹下派と宏池会くらいしかない。だから田中先生だけでなく、宏池会の創設者である大平総理の墓にまで足を伸ばし、岸田派にも共闘をアピールした。大平先生もあの世で“アーウー”と戸惑っているんじゃないか」
石破氏の節操のなさに憤慨する自民党議員もいる。
「墓参りするなら、世話になった渡辺美智雄先生が先じゃないか」(ベテラン議員)
確かに、石破氏にとって角栄氏と並ぶ「政治の師」といえるのは“ミッチー”の愛称で呼ばれた渡辺元副総理だろう。1986年の総選挙に出馬した石破氏は、同じ選挙区に田中派の先輩議員がいたことから田中派に入れず、中曽根派の大幹部だったミッチーを頼って当選後は中曽根派に所属した。
石破氏が総裁選に向けて書き下ろした政権構想ともいえる新著『政策至上主義』(新潮新書)でも、冒頭で〈政治家の仕事は、勇気と真心をもって真実を語ることだ〉というミッチーの言葉を「私の原点」だと書いている。だが、恩人である渡辺氏の墓参りには「少なくともこの1年くらいは行っていません」(石破事務所)という。中曽根派の流れを汲む二階堂派はすでに安倍支持を決めているから、“総裁選の票にはならない”と踏んだのだろうか。