台本は完全に暗記。現場へは持ち込まないという
昨年俳優デビューを果たした長男の寛一郎とは、互いの芝居について語り合うこともあるのだろうか。
「ありますよと言ってしまうと、どんな内容か訊かれて煩わしく感じると思うのでね、彼が(笑い)。僕自身もかつて同じ質問をされて、本当は話していても“いいえ”と言っていましたし。面倒くさいとも恥ずかしいともちょっと違うけど、人様に言うことじゃないというか……なんかね、そういうことなんですよ」
きまり悪そうに照れ笑いを浮かべたが、三國連太郎を父に持つ自身の境遇と重ねた親心なのだろう。
撮影では、息子役の俳優への親心を感じさせるエピソードがあった。終盤、事件に関わった息子が作った炒飯を父親が口にした途端、息子が泣き始めるシーンがある。涙の理由や、食べるという行為を通じて作品の核心に迫る重要な場面だ。
「台本には『慟哭』とあり、息子の異変に“どうした?”と声をかけることになっていた。でも(息子役の)彼のお芝居には感情の吐露にまだ気恥ずかしさが感じられて、僕は台詞が出てこなかった。だから4~5分そのまま泣かせたんです。
佐藤さんはどうして台詞を言ってくれないんだと戸惑ったでしょうね。今の子には歓迎されない愛の鞭(笑い)。でも、あなたのお芝居でこちらの芝居が成立する、人はひとりでは成り立たないという世の条理に気付いてくれたらと。それを含めての親子で物を食う、というシーンですから」
佐藤浩市が食べる姿は心に刺さる。一心に食べ物と向き合う姿が、背景やその意味を饒舌に語りかけてくる。