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西城秀樹さんの妻が明かした出会いと別れと「最初の脳梗塞」

2018.11.16 07:00

◆明かされなかった最初の脳梗塞

 秀樹と美紀さんが出会ったのは、美紀さんが、大阪のコンサルタント会社に就職して5年目のことだった。下水道の設計を担当し、作業服やヘルメットでマンホールの中に入ることにも慣れてきたその年の秋、突然、父親に大阪にあるステーキハウスに連れて行かれた。そこで出会ったのが、当時、ドラマの撮影でたびたび大阪に足を運んでいた秀樹だった。美紀さんの父親は、そのステーキハウスを経営する秀樹の姉と親しかったこともあり、秀樹と美紀さんの知らないうちに“お見合い”が設定されていたのだ。

 45才のスターと28才のOLは、初対面ながら、年齢や生活環境の違いを感じさせないほど打ち解けた。

 初めてふたりきりで食事をする日。秀樹は美紀さんを家まで送るため、車を準備していた。ところが「送っていくよ」という申し出を美紀さんは断り、乗ってきた自転車で、颯爽と帰って行ってしまうのだ。

 その後もデートを重ね、出会いから約3か月後の2000年のクリスマスイブ、秀樹は美紀さんにこう告げた。

「きみと一緒に住みたい」

 さらに続ける。

「西城秀樹の妻じゃない。(本名の)木本龍雄の妻になってほしいんだ」

 ふたりは2001年5月7日に入籍し、6月30日に伊豆下田(静岡県)の白浜神社で結婚式を挙げた。新婚生活の真っただ中の2001年秋、小さな異変が起こる。

《仕事を終えて帰ってきた秀樹さんが、「なんか、ふらつくんだよね」と不調を訴えました。「しゃべりづらいような気もする」》(美紀さんの著書『蒼い空へ』より。以下《》内、同)

 病院へ行き検査を受けると緊急入院を余儀なくされた。病名は、脳梗塞。思わぬ宣告に驚愕したが、このときは1週間ほどの入院で事なきを得た。病名は対外的には「二次性多血症」と発表。“再発はない”そう思っていたからこその判断だった。

 さらにこの頃、美紀さんは長女を身ごもっていた。その年、秀樹は47才でパパになった。

 しかし、再発は起きた。2度目の脳梗塞が秀樹を襲ったのは2003年6月。韓国・済州島に滞在中のことだった。秀樹の症状は一度目のときとは比べものにならないほど重く、隠し通すことはできなかった。

 10日間の入院を終えて自宅に戻ると、秀樹はリハビリと同時に、8月半ばから1か月半続く公演のリハーサルを開始した。

 美紀さんと秀樹の二人三脚の闘病はここから始まった。新婚間もない上に、乳幼児2人を抱えて。美紀さんは明るく振る舞い、秀樹の食事のメニューを改善しながら、子供用の食事も作る。まるで3人の母になったような奮闘ぶりだった。

 2005年1月、第3子が誕生する。この頃の様子は著書にこうある。

《将来に対する不安よりも、秀樹さんと同じ、姉、兄、弟の3きょうだいになったことへの喜びへ目を向けていました。そこに希望を見出すことで、現実に立ち向かおうと自分を奮い立たせていたというか、そうでも思わないと押しつぶされてしまいそうでした》

(文中、敬称略)

※女性セブン2018年11月29日・12月6日号

◆明かされなかった最初の脳梗塞

 秀樹と美紀さんが出会ったのは、美紀さんが、大阪のコンサルタント会社に就職して5年目のことだった。下水道の設計を担当し、作業服やヘルメットでマンホールの中に入ることにも慣れてきたその年の秋、突然、父親に大阪にあるステーキハウスに連れて行かれた。そこで出会ったのが、当時、ドラマの撮影でたびたび大阪に足を運んでいた秀樹だった。美紀さんの父親は、そのステーキハウスを経営する秀樹の姉と親しかったこともあり、秀樹と美紀さんの知らないうちに“お見合い”が設定されていたのだ。

 45才のスターと28才のOLは、初対面ながら、年齢や生活環境の違いを感じさせないほど打ち解けた。

 初めてふたりきりで食事をする日。秀樹は美紀さんを家まで送るため、車を準備していた。ところが「送っていくよ」という申し出を美紀さんは断り、乗ってきた自転車で、颯爽と帰って行ってしまうのだ。

 その後もデートを重ね、出会いから約3か月後の2000年のクリスマスイブ、秀樹は美紀さんにこう告げた。

「きみと一緒に住みたい」

 さらに続ける。

「西城秀樹の妻じゃない。(本名の)木本龍雄の妻になってほしいんだ」

 ふたりは2001年5月7日に入籍し、6月30日に伊豆下田(静岡県)の白浜神社で結婚式を挙げた。新婚生活の真っただ中の2001年秋、小さな異変が起こる。

《仕事を終えて帰ってきた秀樹さんが、「なんか、ふらつくんだよね」と不調を訴えました。「しゃべりづらいような気もする」》(美紀さんの著書『蒼い空へ』より。以下《》内、同)

 病院へ行き検査を受けると緊急入院を余儀なくされた。病名は、脳梗塞。思わぬ宣告に驚愕したが、このときは1週間ほどの入院で事なきを得た。病名は対外的には「二次性多血症」と発表。“再発はない”そう思っていたからこその判断だった。

 さらにこの頃、美紀さんは長女を身ごもっていた。その年、秀樹は47才でパパになった。

 しかし、再発は起きた。2度目の脳梗塞が秀樹を襲ったのは2003年6月。韓国・済州島に滞在中のことだった。秀樹の症状は一度目のときとは比べものにならないほど重く、隠し通すことはできなかった。

 10日間の入院を終えて自宅に戻ると、秀樹はリハビリと同時に、8月半ばから1か月半続く公演のリハーサルを開始した。

 美紀さんと秀樹の二人三脚の闘病はここから始まった。新婚間もない上に、乳幼児2人を抱えて。美紀さんは明るく振る舞い、秀樹の食事のメニューを改善しながら、子供用の食事も作る。まるで3人の母になったような奮闘ぶりだった。

 2005年1月、第3子が誕生する。この頃の様子は著書にこうある。

《将来に対する不安よりも、秀樹さんと同じ、姉、兄、弟の3きょうだいになったことへの喜びへ目を向けていました。そこに希望を見出すことで、現実に立ち向かおうと自分を奮い立たせていたというか、そうでも思わないと押しつぶされてしまいそうでした》

(文中、敬称略)

※女性セブン2018年11月29日・12月6日号


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