だからこそ、シンドラーは作曲家の没後に、その愛を独占しようとする。いちばん信頼されていたのは自分だ。自分ほどベートーヴェンの偉大さを理解していた者はいない。そんな物語をまきちらすようになる。ほかの取り巻きたちをだしぬいて。
耳の聞こえなくなったベートーヴェンは、筆談で意思の疎通をはかっていた。その記録帳は今日にもつたわっている。シンドラーは、作曲家の没後にこの帳面を改竄した。ベートーヴェンが偉大な人物になってしまったのは、そのためである。
この本は、記録の捏造に手をそめたシンドラーの内面へ、せまっている。ベートーヴェンの神格化に腐心しつづけた男の、いたましい精神をおいかけた。あわれな男である。せめて、その偽装工作があるていどは成功したことを、シンドラーのためにことほぎたい。
※週刊ポスト2018年12月7日号