注目はそのまま姿を消したマユの嫉妬を、愛が理解できないことだ。一日を菓子パン一つで凌ぐ生活を抜け出させてくれた親友のマユがなぜ? と途方に暮れる愛に、2人の子供を抱えるシングルマザーで、出会い喫茶の古株〈サチさん〉は言った。〈愛ちゃん、わたしたちとは違うもん〉〈戻れる人だから〉〈マユちゃんは、愛ちゃんがいなくなるのが嫌で、自分から先にいなくなったんだよ〉
「愛には公務員で家族関係も良好な雨宮が健全すぎて怖く、でもサチさんには大卒で社会生活にもなじめる愛が、生活保護の書類も理解できない自分を高圧的に叱った役所の職員と同じに見えちゃうんですよね。
愛自身も、日雇いで行った工場のパートさんを下に見る自分にも〈差別意識〉があることは自覚している。〈雨宮には、わかんないよ〉と言いつつ、マユのことはわかろうとしない。つまりどっちもどっちなんです」
やがてサチさんや、実父の性的虐待に苦しむ15歳の神待ち少女〈ナギ〉のより深刻な事情を知り、愛自身、ある客とのトラブルに遭遇することで生じる変化が、本書最大の読み処だろう。そして彼女が〈貧困というのは、お金がないことではない。頼れる人がいないことだ〉と気づき、自ら踏み出す一歩は、畑野氏らしい新味と気概を感じさせる。
「もちろん貧困脱出の最善手は福祉課に行くことだし、雨宮みたいな友達がいる人はすぐに相談した方がいい。でも王子様に一方的に救われる昭和な結末には絶対したくなかったし、お金より大事なものもあるよねってことで済んだ時代は、もう絶対的に終わってるんです。
SNSの登場以降、みんなが『自己責任論』をすぐ言い出すような風潮になっていると感じます。貧困問題を扱った番組が放映されても、結構食えてるじゃんとか、すぐネットに批判を書き議論を止める人がいますが、その前に『わかろうとしてますか』と私は聞きたい。自己責任論ではどうにもならない人がこれだけリアルにいるわけですし。