ただ、主治医は球団の編成担当に「退院後は野球ができる」と説明し、球団は岩下氏に「来年も契約する」という言葉をかけた。
「そのおかげで、“再び一軍のマウンドに立つ”という目標を持てました」
復帰を念頭に鉄アレイを病室に持ち込み、病院の食事も残さず食べて、体重を落とさないように心掛けた。病室にボールを持ち込んで、暇さえあれば握っていた。
11月に退院すると正月返上で自主トレに励み、春季キャンプからチームに合流。教育リーグ(二軍のオープン戦)での投球内容が認められて開幕一軍入りし、開幕戦では3番手として登板を果たした。試合後、報道陣に取り囲まれた時に、岩下氏はこんな“お願い”をしたという。
「記者の皆さんに『“奇跡”という書き方はしないでください』とお願いしたんです。“奇跡”って本人すら予想していないことが起きた時に使う言葉じゃないですか。僕は“もう一度、野球ができるようになる”と信じていた。だから奇跡と表現してほしくなかった」
岩下氏は2005年オフにオリックスを戦力外となったあと、日本ハムに移籍。2006年の引退以降、打撃投手としてチームを支える。選手が姿を現わす2時間も前から、球場でテキパキと打撃練習の準備をする岩下氏の仕事ぶりを見て、“奇跡”という人は、もういない。
※週刊ポスト2018年12月21日号