垣添:思います。妻は亡くなる前の3か月間、私が勤務する病院に入院して苦しい治療に耐えていました。2種類の抗がん剤治療、後で勉強すると、明らかに多かった点滴医療…最期の方はダブダブの浮腫になり、ベッドに寝たきりでした。本人としては“治療はもう充分”という気持ちだったようですが、“あなたはこの病院の医者だから”という思いもあって、ある諦念のもと、苦しい治療も受け入れていたんですね。
でも、妻は病態が悪化する中で自分の死期を悟って、「家で死にたい」と希望するようになったんです。2007年12月28日、病院には外泊届を出して、いろんな医療器具を借りて妻を家に連れて帰りました。約1か月半ぶりの帰宅。妻は「家というのはこうでなくっちゃね」と、ニコニコしてましたね。ですが、わずか3泊でした。
4日目の大晦日は朝から意識がなく、午後から激しい呼吸困難になり、担当医の往診も間に合いませんでした。最期、完全に意識がなく、胸郭が激しく上下するような呼吸困難を示していた彼女が突然半身をぐっと起こし、ぱっと私の方を見ました。両目をぱちっと開けて、完全に目で私を確認したんです。
小笠原:わかります。燃え尽きる寸前のロウソクが最期の炎を赤々と燃やすように、患者さんも不思議な力で最期の生命力を燃やすんです。ぼくは在宅医療の現場でそういう場面を何度も目撃してきました。
垣添:自分の右手で私の左手を力強くぎゅっと握り、それでがくっとあごが落ち、心肺停止。言葉にはならなかったけれど、妻が「ありがとう」と言ったように、私には思えました。
小笠原:その瞬間が在宅医療をやっていてよかったと思える最高の瞬間です。どんなご家族もみなさん、感動されますし、大切な人が亡くなったことは悲しいことですが、ご本人の希望が叶ったという意味では本当に幸せな死に方だと思います。
垣添:本当にそうで、意識がないまま亡くなっても全然不思議じゃない病態だったのに、最期にそうやって心が通じ合った。妻亡き後、半身を失ったようなつらい日々を過ごしましたが、自宅での最期の日々、心が通じ合ったあの瞬間があったから、なんとかこっちの世界に戻ってこられたんだと思っていますね。
※女性セブン2019年1月31日号