前会長の鶴岡秀樹氏(ミズノ常務)も、パイプ役としての役割を期待する。
「桑田さんは、一般的なお墓参りにあたる奥津城(おくつき=歴代教祖が眠る墓)参りも毎年欠かさず、教団との距離が非常に近い方。最高の人材だと思います」
だが、学園側にも簡単には再開できない事情がある。入試では大きく定員割れし、1学年2クラス、50人あまりの生徒しか在籍していない。昨夏まで大阪府内の強豪だった軟式野球部も、活動こそ続いているものの、公式戦出場が不可能な数の部員しかいない。さらに硬式野球部なき今、生徒のほとんどが教団信者の2世・3世となり、信者数が先細るなか、今後、より厳しい学校運営を迫られるはずだ。
80人以上のプロ野球選手を輩出した野球部のOB会が母校の経営に手を差しのべるような策ぐらいしか、名門復活の可能性は残されていないのではないか。
●取材・構成/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2019年2月1日号