話は慌ただしい年末のスーパーマーケットに戻る。筆者が自動会計機で会計を済ませ、商品をレジ袋に入れていたところ、やはり会計機の使い方がわからないという高齢女性が、従業員に指示されながら四苦八苦しつつ、財布から小銭を取り出していた。お気の毒に…と思って眺めていた筆者。だが、その女性からは、なんとも可愛らしく、そして上手い生き方をしているとしか思えない、予想外の発言が飛び出した。
「こういうのはわからないけど、未来みたいで楽しいわね。おばあちゃんは若い人に教えてもらうしかできないけど、がんばって覚えるからね」
女性の言葉を聞いた客、そして従業員、全員の心が温まった気がした。同時に、筆者は間違いなく「年末の忙しい時にモタつく老人がいて迷惑だ」と考えていたことにも気づかされた。高齢者と若年層の間には、収入など立場の違いからこれまでにないほどの高い壁が聳えているようにも感じるが、その壁を取り去る方法が、街角のスーパーの何気ない出来事から見いだせたような、そんな気がした。
三十代の筆者ですら、今の若者文化については「わからない」と匙を投げてしまうし、理解しようとも、迎合しようともしない。きっと筆者は、現代社会でも嫌われる老人のように、偏屈で不寛容で、押し付けがましい「年寄り」になるはずだと自分でも思っている。でも本音では、この老婆のように、社会に温かく迎えられ、若者に愛されるような、可愛らしく、気の利いたことを言ってみたい。
慣れないことに戸惑う人を邪険にするのではなく、自分が知らない、分からないことに対して頑なになるのでもなく、互いが寛容の精神を忘れずに…。わからない人を除外する、わからないから離れる、というのは最悪だ。超高齢化社会を迎える我が国だからこそ、高齢者には長く社会の一員として頑張ってもらわなければならないし、不満はあるかもしれないが、中年、若者たちには、高齢者と上手く付きあってもらい、この社会を持続させていくほかない。
例えば、多少割高になろうとも、高齢者が安心して買い物ができるサービスを提供するスーパーがあってもいいだろうし、無人レジ、ICカードなどの使い方を教えるセミナーがあってもよいだろう。高齢者という、決して「マイノリティ」ではない人々にビジネスチャンスを見出す若者だって出てくるはずだし、そうした情報を発信する“You Tuber”などが現れ、注目されるなどという事があるかもしれない。
高齢者問題については、感情的な議論が先行し、世代間のギャップはますます深まるばかりにも思える。卓上の議論ではない、奇抜なアイデア、イノベーションの登場を期待したい。