だが、今回の不適切入試問題は、日本の大学入試を世界標準に転換する好機である。世界的に見れば、入試に“偏向的な基準”がある大学は珍しくないからだ。
たとえばアメリカの私立大学は、ダイバーシティ(多様性)の観点から、男女比率や白人、ラティーノ、ネイティブ・アメリカン、中国系、アジア系などの比率をコントロールしている。単純に入試の成績順に合格させると、人種構成が非常に歪んでしまうからである。
一例を挙げると、私の母校のMIT(マサチューセッツ工科大学)の場合、何もしなければ理数系の能力に秀でたインド人ばかりになってしまうので、それを考慮して選考している。親が卒業生で寄付金が多ければ多いほど合格できる私立大学も少なくない。州立大学やコミュニティカレッジは地元出身者優先で授業料も安い。
他の国でも同様だ。たとえばロシアの有名大学は、MITのインド人と同じ理由で、優秀な人材が多いユダヤ人の比率を密かに制限している。マレーシアの国立大学も、放っておくと中華系民族(華僑・華人)やインド系民族が多数になるため、マレー系民族(マレー人やその他の先住民族)を優遇する「ブミプトラ政策」によってマレー系民族を優先的に合格させている。
日本も、私立大学の場合は、自分たちが欲しい人材を合格させればよいのである。大学が自校のカラーに合った学生や欲しい人材を集めるためには、単純にペーパーテストの点数で合否を決めるのではなく、そうしたバイアスをつける自由度があってよいと思う。
ただし、入試のポリシーと合格基準をオープンにして透明性を担保しなければならない。
たとえば私なら、理数系と語学の能力を重視するので、入試では数学と英語の得点を2倍にして他の科目は加点しない、といった基準を設定・公表する。それが嫌であれば、その大学を受験しなければよいだけの話である。