亡くなった際の報道で、織本について「存在感ある芝居をする役者」と評するメディアがいくつかあった。が、その「存在感ある芝居」は、「ただそこに存在していればできる」というわけではない。そこには、確たる計算と技術が裏打ちされている。
ただ、それはなかなか外の世界の人間に言葉で説明するのは難しい。織本はインタビューでそれを見事にやってのけている。
「よく『存在感がある』と言いますが、息を吐くセリフの時は存在感は観る側には伝わりません。例えば、相手と怒鳴り合いをしている状態では何も響きませんが、そこからいきなり小さな声で『お前な……』とやると、響いてくるでしょう。それが画面での存在感になります」
役の大小、作品の規模にかかわらず、織本はたえずその存在を画面のそこかしこで感じさせてくれた。それは近年の脇役にありがちな、「自分が目立とう」というタイプの存在感ではない。楚々としてそこにおり、気づいたらその芝居から目が離せなくなっている。そんな上品な存在感であり、そこがたまらなくチャーミングだった。
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中
※週刊ポスト2019年4月19日号