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日本で10年働く38歳インドネシア人男性看護師の告白

帰国のために辞職を考えたときは、勤務先の病院から引き留められた

帰国のために辞職を考えたときは、勤務先の病院から引き留められた

 そして2012年、日本の看護師国家試験に見事合格。EPAに基づく受験者の合格率は約10%(当時)という狭き門を、見事に突破した。来日前は、漢字はもちろんのこと、ひらがなもカタカナも全く分からなかったユスプさんの血の滲むような努力と、たくさんの人達の支えでやっと掴んだ合格だった。

 その後、ずっと離れて暮らしていた妻子をようやく日本へ呼び寄せる。しかし看護師になったばかりで、更に勉強を重ねなければならないうえに、日本語が全く分からない家族との新生活には、更なる困難が待ち受けていた。

「病院の勉強もたくさんあるのに、息子の学校からは毎日お知らせや連絡帳がくるし、宿題もいっぱい。妻は日本語ダメだから、私がチェックしなきゃいけない……もう大変で。合格して早く家族と一緒に暮らしたいって思ったけど、ちょっと早かったなって」と振り返る。

 しかし、ユスプさんの心配を覆すように、長男は3か月もすると流暢な日本語を話せるようになった。「子供の耳は柔らかいから早いね」と、さらに公文にも通わせて国語を集中的に勉強させた。片言の日本語しかできない妻にもママ友ができ、日本の生活に馴染んでいった。

 ところが、ユスプさんは看護師となって3年目のとき、病院にインドネシアへ帰国したいと相談していた。母国で仕事をするためには、そのときが彼にとってタイムリミットだったからだ。

 インドネシアでは中途採用の壁は高い。日本では看護師のような国家資格持ちならば、年齢を厳しく設定されることはあまりない。ところが、インドネシアでは35歳までという年齢制限が多い。今後のキャリア、そして年齢的に最後のチャンスかもと悩んでいた。

「インドネシアで公務員になりたいという気持ちもあって。私はインドネシアでは真面目なほうだけど、日本人は本当に真面目で、何でもきっちりしている。1分ごとにやることが決まっているから、ゆっくり、のんびりしたインドネシアが時々とても懐かしくて……」

 東南アジアの国々は、東京と違い、ゆっくりと時間が流れていく。青い空、太陽の眩しい光、豊かな緑、モスクから聞こえてくる祈りの声、おおらかで穏やかな人々の笑顔、そんなインドネシアが懐かしくてたまらなくなる瞬間が、この長い10年の間、ユスプさんにもきっと何度もあったのではないだろうか。

 しかし病院としては、ユスプさんはすでに立派な戦力、「もう少し考えてほしい」と説得された。それに、すでに日本の生活を気に入っていた家族の為に考え直したという。

「長男が小学3年生だったから、じゃあ卒業まではいようって。日本で次男も産まれたし、で、またのばして、もう10年ね。奥さんは息子たちの教育のこともあって日本で生活したい。でも私は、今もインドネシアに帰りたいなって思うことあります」

 日本で子育てをするために、様々な工夫もしてきた。15歳になったら集団礼拝が義務になる息子のために、金曜日はモスクへ通わせてくれる公立中学校を探し、引っ越した。「HIKAKINばっかり見ている(笑)」という子供たちからは、仕事では覚える機会があまりない、野菜の日本語などを逆に教わっている。

 ユスプさんのように、学校でも職場でも日本に馴染んで暮らし、学び、働く人がいる一方、ようやく国家試験に合格しても馴染むことができなかったり、続けることが困難になって帰国してしまう人たちがいるのも現実だ。

 ユスプさんも、まったく不安なく日本で暮らし続けてきたわけではない。日本の食品は成分表示が日本語でしか書かれていないため、来日してしばらくは怖くて食べるものが限られた。

「コンビニのおにぎりも、日本に来てから10か月経って初めて食べました。『豚』という漢字を真っ先に覚えて、ベーコンが豚肉だということを初めて知りました」

 イスラム過激派組織IS(イスラム国)によるテロ事件などが連日メディアで報道されたときには、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が着用するスカーフ)を被る妻への日本人の視線が気になったこともある。とはいえ今では東京駅やディズニーランドにも礼拝室が設けられており、ハラールフードを買える店も増えた。少しずつではあるが、イスラム教徒に暮らしやすい環境も整えられつつある。

「看護師の仕事は夜勤もあるし、大変。でも、冬は長野でスノーボードをするのが楽しみ。あ、でも納豆だけはダメです。今まで頑張って10回くらい試してみたし、すごく高い納豆も買ってみたけど。大変なこともたくさんあるけど、日本の生活は楽しいです」と最後に笑顔で語ってくれた。

 急速に少子高齢化が進む日本では、これからも人材不足の担い手として多くの外国人の助けを借りなければならない。日本で長く働くつもりではなかったユスプさんが、10年も日本で暮らし、働き続けてくれたのは、本人の努力はもちろん、職場や学校、友人たちの協力と、ひょっとしたら偶然も働いたのかもしれない。彼やその周囲の人たちがどのように受け入れ、文化を尊重し、理解し、思いやりの心を忘れず、共存関係を築いている様子を知ることで、日本で働く外国人と築く、新しい日本の姿が見えてくるかもしれない。

●はっとり・なおみ/広島県出身。保育士、ツアーコンダクターを経て香港へ。日本語学校で働きながら香港中文大学で広東語を学んだ後、現地の旅行会社に就職。4年間の香港生活を経て帰国。著書に『世界のお弁当: 心をつなぐ味レシピ55』ほか。

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