映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・伊東四朗が、ベンジャミン伊東として電線音頭を歌い踊りお茶の間の人気者となり、世間の顰蹙を買いながら、役者としてのキャリアを重ねていった時代について語った言葉をお届けする。
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伊東四朗はコントトリオ「てんぷくトリオ」を経て、一九七〇年代あたりから喜劇だけでなくテレビドラマや映画などでシリアスな芝居もするようになる。
「『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!』なんていう番組でベンジャミン伊東というキャラクターになって電線音頭をやって世の中の顰蹙を買っている時に、テレビマンユニオンの今野勉さんから話が来ました。『望郷・日本最初の第九交響曲』というドラマで、第一次世界大戦時の徳島にあったドイツ兵の捕虜収容所の話でした。しかも主役という。
こういうドラマに電線音頭のベンジャミンが出るのはデメリットですから、今野さんは知らないんじゃないかと思ったんです。それで『実は私、こんなことをやっていて、それでもよろしいんでしょうか』と言ったら『それがどうしました? 話を続けます』と。驚きましたね。
それ以降もそういうことが多かった。結局、表に出ているのと別のところで見てくれているんだな、と。こういうのは役者として嬉しいことだと思いながら、ずっとやってきました」
喜劇をバックボーンにしてきたことで、シリアスな芝居にも対応できていると振り返る。