「近代外交の成立と民族の受難」と題されたコーナーで、親子連れが何組か集まりガイドの説明を聞いていた。ガイドは20代後半くらいの今風の女性で、子どもには素敵なお姉さんに見えるだろう。子どもは5名と少ないが、小学校低学年から高学年までと幅広い。一行は外交史展示室の見学ツアーに参加しているのだった。
彼らに交じって耳を傾けると、当時の朝鮮王朝が諸外国と結んだ不平等条約についての説明中だった。この展示室の出発点である「1876年」といえば、朝鮮が日本との間で江華島条約(日朝修好条規)を結び、開国が成し遂げられた年である。
「日本では条約とか条規という言葉を使いますが、これは事実上強制的に結ばれたもので、内容も日本に都合のいいものになっているんですよ」
女性ガイドの声が展示室に響く。確かに事実関係としてはそういうことだが、言葉尻が何かにつけ引っかかる。
そして、日本だけでなくアメリカやフランス、イギリスといった列強諸国とも不平等条約が結ばれたことへの説明に移った。女性ガイドの淡々とした声が続く。
「どうですか? 悪い国ばかりでしょう。どこの国も韓国にとって良くない条件で条約を結んだんですよ」
近代の幕開けとともに列強と不平等条約を結んだのは日本も同様だ。その点では日本も韓国も大差はない。それでは日本で近代の幕開けについて子どもたちに語るときに、その列強諸国を指して「悪い国でしょう」と話すだろうか。
内心モヤモヤしていると、1910年の日韓併合条約の解説が始まった。もちろん、それから終戦に至る1945年までの「韓国の外交史料」はない。日本統治下で政府が存在しなかったからだ。その話をした後で、女性ガイドの説明はさらに流麗となった。
「この条約も江華島条約と同じで強制的に結ばれたものなんです。そういうことをやって日本は私たちの国を植民地にしたんですよ」
ずいぶん鼻息が荒い。1919年に起きた「三一独立運動」の話では、中国の上海に置かれた「大韓民国臨時政府」の説明はほとんどなし。そして一気に終戦・民族解放まで駆け抜けてしまった。