その後の展示は「解放」から1960年までのコーナーと、朝鮮戦争からの戦後復興を遂げる1960年以降のコーナーが続くが、やはり説明はあっという間に終わり。韓国出身の潘基文が国連事務総長を務めたことも、たった一言で終わった。つまり、1960〜1980年代にかけて経済復興を遂げ、国際社会の一員としての地位を確立していくまでの出来事に、ツアーの説明は一切触れなかったのだ。
韓国の外交史を振り返るなら、戦後の日本の存在感は決して小さくはないはずだ。1965年の日韓国交正常化も韓国の戦後史におけるビッグイベントの一つである。それに伴う日本政府からの資金援助は5億ドル、さらに民間からの借款まで含めると合計8億ドルに上る。これを財源としてソウルと釜山を結ぶ高速道路などのインフラが整備され現在のポスコが設立されるなど、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の呼び水ともなった。
にもかかわらず、戦後の日本との外交関係について説明は全くなかった。不思議に思いツアーから離れてよく見ると、隅の目立たない場所に1965年に結ばれた日韓基本条約の批准書が展示されていた。それについて「戦前・戦中に植民地支配を受け、その影響で戦後は国交が途絶えていたが、それを克服して国交を回復した」などと語るのならば、韓国の外交努力が子どもにも魅力的に見えるはずだ。何も語らないということは、韓国外交部にとって何か都合の悪いことでもあるということなのだろうか。
外交官の礼服や外交官用のパスポートが展示されているコーナーでは子どもたちも興味を持ち、そこで多少の時間を取ってはいたものの、ツアーのほとんどの時間は「諸外国にやられた、特に日本にやられた」とでも言いたげな説明に費やされていた。
子ども向けの教育プログラムや見学ツアーには、「外交」に親しんでもらい、その中から外交官を目指すような人材を育てていこうという主旨があるはずだ。しかし「外国にやられた、日本にはやられ続けた」という話ばかり聞いて、「外交官になりたい」と思う子どもがいるだろうか。そんな教育を受けた子どもが長じて外交官になった暁には、どんな対日外交が展開されるだろうか。
現在の韓国政府は日韓関係を重視するとは言っているが、本当にそうであるのなら、自国の外交史の語り方を少しは考えてほしいものだ。