別の出版関係者によれば、漫画やアニメの制作現場に「ファン」が押し寄せることは、何十年も前から「日常」だったという。熱狂的なファンは、監督や作者だけではなく、作画スタッフや色ぬりの担当者にまでサインを求め、中には現場見学者を装って押し入り、原画やスタッフの仕事道具を盗んでいくファンもいた。それでも、まさかこのような惨事が起きようとは予想しなかったとも話す。S氏が続ける。
「ネットが悪い、とは言いたくないですが、SNSが普及しファンが増えたことで、不穏なことも増えました。内容が気に入らなければ、作品公式のアカウントに文句を言ったり、そこでファン同士が喧嘩を始めたり…。中には、制作スタッフの匿名アカウントを割り出し、直接クレームをぶつけてくるファンまでいて、スタッフが怖い思いをしたこともあります」(S氏)
こうして、制作者とファンの「距離」が近づくことは、決して悪いことばかりではない。ただ、関係性を履き違えた一定数の人間達は、その思い込みを強化させていく。
「今回の”パクられた”という話ですが、例えば容疑者が自身のSNSなどで小説か何かを書いていて、その内容に似たストーリーが京アニの作品の一部にあった、という可能性はあるでしょう。しかしほとんど言いがかりです。それほど大きな“パクリ”であれば、ネットではすぐに検証が始まり、あっという間に炎上するでしょう。このような難癖をつけてくる人、実は少なくないんです」(S氏)
都内のアニメプロダクションに勤務経験のある漫画家も、アニメーター時代に同様の経験をしたという。
「ストーリーの一部、例えば主人公がどこの出身でどんなスポーツをしていて、といった設定について“俺が考えたものだ”とクレームを入れられたことがあります。証拠として突きつけられたのは、その人物がSNS上に公開していた日記でした。本当に偶然、設定の小さな部分が同じというレベルの話なんですが、何ヶ月も嫌がらせのメールが届いたり、ネット上にはその人物が書き込んだと思われる罵詈雑言が今も残っています。警察に相談したことだって一度や二度ではない。もし、京アニ放火犯の動機がほんの小さな勘違い、思い込みなのだとしたら、今後も同じような悲劇が起きてしまうのではないか。そう思うとやり切れません」(漫画家)
日本アニメは、単なるコンテンツではなく「文化だ」と言われて久しい。世界中でファンを獲得し、アニメへ興味を向ける人が多くなったことは幸福なことであったはずだ。その一方で、文化は人を拒否できない。どんなに過激で極端な思想を持った者でも、文化に触れることは自由だ。しかし、その自由を身勝手に曲解しただけでなく、文化の担い手の命までも奪う自由など、何人にもない。
容体が安定しないと言われる容疑者が回復したとき、何を語るのか、世界中が注目している。