そもそも「太平記」は歌舞伎における最もポピュラーな「世界」(今ふうに言えば「世界観」)であり、そこからいくつもの物語が立ち上がる仕掛けとして確立しており、その意味で戦時下のメディアミックスに実に好都合な装置でさえあった。
だが著者が注意するのはかつての「楠公」メディアミックスの復興の兆しであり、その不穏な記憶に注意を喚起すべく本書は昭和十年前後の集中的楠公展開に的を絞っている。著者は歴史学者やメディア研究者でなく美術など視覚表現の研究が専門だが、まんが研究者であるぼくも含め、他領域の研究者が戦時下のメディアミックスを問題にせざるを得ない危機的状況に今あることにこそ読者諸氏は注意を払ってほしい。
※週刊ポスト2019年8月16・23日号