現場には事件直後から現在まで、多くの花が手向けられている
12年前、母のC型肝炎が発覚。長く闘病生活を続けた母が移動しやすいよう、幸恵さんはコツコツ貯めたお金で自動車を買ってくれようとした。しかし母は昨年2月に逝去。残された伸一さんに追い打ちをかけたのが今回の事件だ。
「あの日、私の姉から連絡があり、テレビをつけたらあの有り様でした。すぐ幸恵に電話したけどつながらない。
その日は会社も大混乱で安否が確認できず、翌日の朝に警察からDNA採取を求められました。
事件から9日後にようやく幸恵と対面しました。棺に納まる娘は、亡くなった時のうずくまるような姿勢のままで、損傷がひどく本当にむごいものでした。子供らや親族には到底見せられません。見たのは私だけです。親ですから…」
そう言うと伸一さんは、ハンカチで目頭を押さえた。伸一さんは心労を重ねながらも、できる限り取材に応じている。
「家内が亡くなった後、ひとり暮らしの私を誰より気にかけてくれたのが幸恵でした。家に帰ってくる時は私の好きな、京都のお菓子を山ほど買ってきてくれる子でした。私が取材に応じるのは、心優しい幸恵の安否を気遣う人に事実を伝えたいからです」
大切な娘の遺骨は、母と同じ墓に入れる予定だ。
※女性セブン2019年9月12日号