当日、一緒にいた友人たちもまだ子供だ。彼らもまた心に深い傷を負っているかもしれない。その1人の親に話を聞くと、憔悴しきった様子で、「あの子らは、“なんとかせなあかん、助けよう”って思っていたんです…」と、重い口を開いた。
「パニックになって話が二転三転することは子供でもありますよね。(優空くんが行方不明になった)その日、夜の8時頃、警察が家に来て、11時半まで話を聞かれた。そこから“うちの子を連れて実況見分したい”と言うんです。真っ暗な下田川での見分が12時まで続きました。もちろん、それは必要なことやと思います。でも、真夜中に5、6人の警察官に囲まれて、友達がいなくなった川に連れて行かれて…あの子は調子が悪うなって硬直してしゃべれなくなってもうたって。それを警察は“何も言わなかった”と説明し、相手側は“保身”と捉える。その気持ちもわかります…。
子供たちは本当は助けを呼んだんです。それでも助けられなかった。それがうまく伝えられていない。私らがそう説明したところで、うまく伝わるとも思えん。今はなんで最初から警察に“助けを呼んだけどダメやった”って言えんかったんか…って」
遺族はもちろん、一緒にいた友人たちやその親にとっても、話が食い違う状態が続くうちは、苦しさが消えることはないだろう。人の記憶は、どんどん薄れるからこそ、真相の究明を急がなくてはならない。それが何より優空くんにとって最大の供養になるはずだ。
※女性セブン2019年9月26日・10月3日号