「ぼくが、友人たちに“優空が帰ってこないが知らないか”と聞いた時、彼らは“知らない”と答えていたんです。後で警察に聞かれて、ようやく一緒にいたことを認めた。目撃談などを総合してぼくが調べたところ、優空が溺れたのは、午後2時40分から3時20分の40分間。そして友人たちは3時半から6時半まで、なぜか何度も現場に戻っていたそうなんです。空白の40分の間に本当は何があったのか…その友人たちには何度も聞いてもらっていますが、今はもう“黙ってしまう”そうなんです」
◆ただ真実が知りたい──この一心
岡林さんのツイッターが注目され、応援の輪が広がる一方で、ネットの掲示板には、彼の活動を非難する声もアップされている。
《町内会の回覧板回しも気を使うほどギスギスしています。子供たちも学校で不安な空気があります。どうしてネットで騒いで大ごとにしようとするのか理解できません》
《子供たちの生活を乱さないでほしい》
などといったコメントも散見される。
しかし、岡林さんは、友人たちを糾弾したいわけでも、町内の空気を乱したいわけでもない。なぜ息子は死ななければならなかったのか。ただ、真実が知りたい――その一心なのだ。
「優空は未熟児で生まれたんです。小さくて保育器から出ることができなかった。妻も産後、体が回復するまでに時間がかかったので、生後数か月間ずっと、ぼくは仕事終わりに病院に通っていたんです。優空は、必死に“生きたい”って頑張って成長してきたんです。
名前は妻がつけました。空をイメージして、“限りなく優しい子であってほしい”という願いをこめたんです。大事に育ててきた子なんです。なんで、こんな形で別れることになったんか…」
優空くんには弟がいる。まだ4才。人の死を明確に理解できる年齢ではないだろう。
「でも、ぼくが警察で優空の遺体と対面して帰ってきたら、次男が“お兄ちゃん、お星さまになったね”と言ったんです。ぼくも妻も“優空はもう帰ってこない”なんて一言も言っていないんですが、幼いながらに感じ取っていたのかなって…」
警察は、現状、水難事故として処理しているが、岡林さんの希望さえあれば再捜査に着手することも可能だという。
「刑事さんには“再捜査を望むなら、刑事告訴してもらえればわれわれも動けます”と言われました。でも、警察はぼくが動くまで、川の水位を測ることも、付近を通る車のドライブレコーダーの提供を求めることも、熱心にやっていないように見えた。告訴しても期待できません。
時間の経過とともに目撃情報も減ってきましたし、正直、行き詰まってきています。だからこそ、あの日一緒にいた子たちには、本当のことを話してほしい。ただ、それだけなんです」