ラガーマンが憧れる「代表キャップ」(日本ラグビーフットボール協会提供)
キャップ対象試合に1試合出場すれば「1キャップ」と数えられ、歴代1位は東芝の大野均選手の98キャップ。サントリーOBの小野澤宏時氏(81キャップ)、神戸製鋼OBの元木由記雄氏(79キャップ)が続く。ちなみに現在の日本代表トップは身長166cmの“小さな巨人”こと田中史朗選手が積み上げた70キャップである。
実際に栄光のキャップを授与された選手は何を思うのだろうか。キャップナンバー257、30キャップを誇る神戸製鋼OBの大八木淳史氏は、同志社大学在学中の1983年9月25日、国立競技場で行われた日本代表対オックスフォード大学・ケンブリッジ大学連合チームとの試合で初キャップを得た。
「10対15で惜敗した試合でしたが、当時は国相手でなくてもキャップ対象になったんです。僕は高校日本代表になったけどプレーが荒かったからか、国の代表にはなかなか選ばれず、オ・ケ大学連合との試合でようやく日本代表になれた。当時のラグビーはアマチュア時代で試合に勝っても対価がなく、キャップが日本代表としての誇りを示すものだったので、初めてキャップを手にしたときは嬉しくて『大事にしよう』と思いました」(大八木氏)
大八木氏が真のテストマッチを体験したのは初キャップの翌月、日本代表が敵地アームズパークに乗り込んだ1983年10月22日のウエールズ戦だった。
「ウエールズ遠征中に試合には出ていたけど最後のテストマッチに出場できるかわからなかったから、ミーティングで出場選手として名前を呼ばれた時はめちゃくちゃ嬉しかった。アームズパークはものすごい人だかりで応援歌にも圧倒され、ぐっとくるものがありましたね。英国圏のラグビー文化の奥深さを肌で感じました」(大八木氏)
試合は後半20分までウエールズが10対29とリードして「ここまでか」との声が漏れる中、日本代表が怒涛の3トライで猛烈に追い上げる。最終的に24対29で惜敗したものの、この試合は「ウエールズ全土を沸かす大事件」と形容された。
伝説となったウエールズ戦以降も大八木氏は代表の中心選手として長く活躍し、金のワッペンを増やしていった。多くのラガーマンが憧れるキャップとワッペンを手に入れた選手の歩みは、そのまま日本代表の歴史につながるのである。