JOCDNのイベント出展スペース
──その後、1992年12月に会社を設立した。しかし、郵政省(現・総務省)から日本初のインターネット接続事業者として認可が下りるまでは1年3か月の時間がかかった。
鈴木:こちらは資金に乏しいベンチャー企業でしたし、まだ日本では「インターネットとは何ぞや」という時代でしたから、認可を得るまでに紆余曲折ありました。
この時代の日本は、情報通信分野の技術革新によって産業構造そのものが変わっていくという理解がなかった。もう一度、世界の覇権を握ろうとするアメリカの戦略も理解できなかった。
1980年代、日本は製造業の分野で“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と称賛されていた。一方、ものづくりで日本に敗れたアメリカは、金融と情報通信の技術革新をリードすることで、世界での覇権を取り戻すことを考えたわけです。その2分野でアメリカがプラットフォームを握るという明確な意思がありました。
それに対し、日本は何も動かなかったわけです。製造業が絶頂期を迎えていたから仕方なかったけれど。
現在、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleの4社)が牽引するアメリカ経済に日本が立ち後れてしまったのは、この時代の無理解が尾を引いているのかもしれません。