麻生太郎氏は学習院大卒(時事通信フォト)
「日本は高学歴社会と思っていたら、気がつけば低学歴国となっていた」
もちろん、内閣の顔触れのことではないはずだ。教育評論家の森口朗氏は安倍政権に期待する。
「日本の学歴の頂点は東大だが、難しい試験というのはクリエイティビティの必要性がなく、ひたすら真似る、問題を処理することを求められる。そうした受験エリートが日本を引っぱってそこそこうまくいったのは昭和まで。安倍内閣は東大卒が少ない。だからこそ問題意識を持ち、入試制度改革に手をつけることができたのだと思う」
しかし、大学入試改革の肝であった英語民間試験については、東大が早々に「必須としない」と表明したことで迷走が始まった。そして萩生田光一文科相の「身の丈」発言で改革は大きく後退を余儀なくされた。
その萩生田氏は、受験では1浪して明治大学に進学した。萩生田氏自身が講演でこう語っていたという。〈「普通に真面目にやっていればそのまま早稲田大学に行けたんですけど、停学を2回受けちゃいまして、大学の推薦を受けられず、1年間、浪人して明治大学に進みました」〉(『週刊新潮』15年11月5日号)
失敗や挫折は人間を成長させ、コンプレックスは努力の糧となる。本来であれば、受験の成功体験しか知らない東大出身エリート官僚より、安倍首相や萩生田氏のような“非受験エリート”政治家のほうがより国民に寄り添う政治ができるともいえる。
ところが、いまの安倍政権の政治家はつかんだ権力に驕り、国民の批判にさえ鈍感になっている。だから不祥事が次々に起きる。それが国民には情けないのである。
※週刊ポスト2019年11月29日号