国際日本文化研究センター教授の井上章一氏
万博があとですてたこの顕彰形式は、オリンピックのなかでふくらまされていく。一九三六年にひらかれたベルリンの大会では、授与式がページェント化された。ヒトラーがひきいたナチス体制下に、金銀銅のメダルは圧倒的な輝きをもちだしたのである。
ナポレオンの時代が生みだした。ヒトラーの体制が、大きく肥大化させている。そんな顕彰形式に、現代人は一喜一憂する。ボナパルティズムとナチズムの名残りに、われわれは生きている。私などは、なかなか味わい深い歴史だなと思うが、どうだろう。
べつに、オリンピックを否定したいわけではない。ただ、にがい歴史を知ることで、われわれの感性はみがかれる。メダルの数だけをとりざたする人びとより、物の見方はゆたかになると考える。オリンピックをたのしむいっぽうで、その歴史にも想いをはせたいものである。
※週刊ポスト2020年1月3・10日号