露出した線路を一目見ようと人が集まっている
「道路の下に、昔の都電の線路が埋まっているという話は噂レベルでは聞いていました。しかし、本当に出てくるとは思っていませんでした」と話すのは、千代田区環境まちづくり部道路公園課の担当者だ。
東京23区内を隅々まで走っていた都電の多くは、昭和30年代から40年代(※1960~1972年)にかけて廃止された。都電が次々に廃止された際、線路や車両は貴重な歴史の証言者であることを理由に博物館や郷土資料館、公園などに保存・展示された。今回発掘された線路は、それ以上の歴史を有するだけに史料的な価値は高い。しかし、保存や保護をしなければならない対象とはなっていない。
「今回の工事で露出した線路は、埋蔵文化財に指定されていません。そのため、区で保存・展示する物ではないと考えています。しかし、貴重な歴史遺構であることは間違いありません。有志で結成している”お茶の水橋都電レール保存会”からも、今後の活用について提案をいただいています。さまざまな意見をいただき、どのように活用できるかを模索しているところです」(同)
露出した線路は貴重な歴史的遺構であることから、公共性・公益性を考慮して、研究・調査などを目的とした博物館や大学などに寄贈することも検討しているという。
千代田区内には、江戸時代から明治時代にかけての歴史的遺構が点在している。そうした遺構を後世に伝えるために、千代田区は「まちの記憶保存プレート」という説明板を設置している。今回露出した都電の線路については、「現在のところ、特に説明板を設置する予定はない」(同)と言う。
ちなみに、同区間は複線だった。そのため、もう一方の車線の下にも線路が埋まっている可能性は高い。工事の進捗状況に応じて、露出した線路は撤去される。いずれにしても、アスファルトの下から露出した線路が歴史的発見であることは間違いない。
1967年12月9日都電銀座線廃止の日、満員の乗客を乗せて走る「飾り電車」(時事通信フォト)
1971年03月17日、宝町一丁目停留所から発車するさよなら都電(時事通信フォト)