ただし、事はそうスムーズには運ばなかった。吉本に所属するには原則、NSC(養成所)上がりか、相応の実績の持ち主でなければならない。いくら真栄田に実績があるとはいえ、沖縄限定である。そのため最初は断られた。真栄田が思い出す。
「NSCの校長に会ったら、『みんな高い金払って、1年間がんばって吉本に入ってんだ。おまえだけ金も時間もカットできるか。おまえ、何様なの?』みたいなことを言われて。でも、もう、引き下がれなかった。これまでやってきた仕事の話とか、3時間ぐらい粘って、そうしたら向こうもこっちの熱意に打たれたみたいで、特別に入れてくれることになったんです」
内間は東京NSCの8期生になるが、真栄田も同等の扱いを受けることになった。新たな所属先が決まり意気揚々としていた真栄田とは反対に、じつはその頃、内間は芸人引退を真剣に考え始めていたという。
「沖縄から出てきても、状況はまったく変わらなかった。東京に来てから2、3年経っていたんですけど、すでに相方が5、6人替わってたんです。だいたい、おれの方から辞めようって言い出しました。そんときも売れないのは相方のせいだって思っていたんで。当時は、おれが全部ネタを書いてたんです。なので、今にして思えば、おれが書いてたからダメだったのかもしれませんね。さすがにおれも環境のせいじゃないなって気づき始めたんです。
ただ、賢さんのことは先輩としても芸人としても大好きだったし、めっちゃおもしろいと思っていたんで。なので、電話があったとき、運命を感じたんですよね。真栄田さんとお笑いの世界を繋ぐことがおれの最後の役割なんじゃないかなって。なので、組むというより、東京で少し同じ時間を過ごして、おれだけ辞めてもいいかなって思っていたんです」
ともあれ、2005年2月、2人は正式にコンビを組んだ。コンビ名は「スリムクラブ」に決まった。「スリム」という語感のよさが気に入り、それに仲間が集まる場所というニュアンスを持つ「クラブ」を付けた。
オリジン時代の先輩芸人であるひーぷーはそのコンビ名を聞いたとき、なにやら期待感めいたものが湧き上がってくるのを感じたという。
「こいつららしいなと思いましたね。面白い、と。今でこそ、すっかり耳慣れちゃいましたけど、最初、全然意味がわからなかった。スリムクラブって、何じゃそりゃ? って。外から見てて、普通、あいつら2人をくっつけようとは思わないですよ。賢の世界観と、内間の世界観は真逆なので。なんて言うのかな、ピカソとゴッホみたいなもん。どっちも天才ですけどね」