スリムクラブ一覧

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2010年のM-1決勝の舞台裏で何が(スリムクラブ。真栄田=左と内間)
2010年M-1決勝、スリムクラブを泣かせた笑い飯の一言
 お笑いコンビ・スリムクラブ(真栄田賢・44歳と内間政成・43歳)の名を全国に轟かせた「M-1グランプリ」2010年大会。その舞台裏で先輩芸人から贈られた、忘れられない言葉があった。スリムクラブの2人が、2010年の晴れ舞台の思い出と、“ラストイヤー”となる今年のM-1にかける思いを語った。ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/最終回)。 * * * テレビ朝日の1階は、グッズ売り場や各番組の宣伝コーナーが設置され、一般の人も見て回ることができるオープンスペースとなっている。 2010年12月26日、M-1グランプリ決勝当日、その中に、ガラス張りのショーケースに入ったM-1の優勝トロフィーが飾ってあった。真栄田はそれを見つけるなり、内間に、「おれらが今日、持つことになるから、持ってみ」と言った。想像の中でトロフィーを持ってみろという意味だ。真栄田なりのイメージトレーニングでもあった。「重いか?」 真栄田がそう尋ねると、内間は真顔で言った。「100グラムくらいですかね」「軽すぎるわ!」 ただ、真栄田は内間のそんなところが好きだったのだ。 スリムクラブが起こす笑いは他の漫才とやや異なる。他の漫才の場合、客は口を開けて思い切り笑っているものだが、スリムクラブの場合、客は押し殺すように笑い続け、時折、堪えきれず吹き出してしまう。 というのも、特に内間が発するコメントは、おもしろいかおもしろくないかでいうとおもしろくない。でも、笑えてしまう。また、間が非常に長くかつ多いのだが、その言葉を発しそうで発さない雰囲気がなぜか笑える。そう、笑うところではないかもしれないがなぜか笑ってしまうため、反射的にどこか堪えたような笑いになってしまうのだ。 2010年のM-1決勝の1本目で見せたネタで、客は初めてその「スリムクラブワールド」を体感することになる。 真栄田が内間に「あなた……、以前……、私と一緒に……、生活してましたよね?」と間を存分に取りながら尋ねる。 そのあやしさに客はすでにノックアウト寸前だった。それに対し、内間は、口元をゆるませながら、相方の顔をしげしげと見つめること約12秒。おそらく、いや間違いなく、M-1決勝における「間」の最長記録だ。 M-1の歴史は、言い換えれば、スピード化の歴史だった。テンポが早ければ早いほどボケをたくさん詰め込むことができるし、それだけ笑いの数も多くなる。スリムクラブはその逆を行ったのだ。 声を発していないにもかかわらず、客の笑いが途切れることはなかった。審査員の松本人志も大爆笑していた。真栄田はM-1の予選と決勝の違いをこう語る。「決勝は審査員がいる。お客さんも、審査員の表情を見てる。はっきり言えば、松本さんが笑ってるかどうかを見ている。だから、松本さんを笑わせたら勝ちですわ。松本さんがオッケーということは、神さまがオッケーということですから。それで、みんながおれらのファンになってくれたんだと思います」 内間はたっぷり間をとったあと、ようやく言うのだ。「……してません。人違いだと思います」 そこで客席が爆ぜた。間で火薬をまき、言葉で引火する。そんな漫才だった。真栄田が説明する。「内間には、たとえば、埼京線で、変なやつが近づいてきて、変なことを言われたら、どうなる? と。身の危険もあるから、一瞬、体が固まる。下手なこと言って逆上されても困るから、なかなか声も出ない。その感じを出そう、と。おれの言葉をまず胸に染み込ませて、染み込んだところでじわって出てくるものなら言ってもいいと言ったんです。そうしたら、ああなりました」 それにしても、つくづく不思議なコンビである。真栄田のいちばんのファンを公言する内間は、まるで、真栄田の隣という特等席で、ただ、大好きな真栄田の語りに聴き惚れているだけのようにも見える。「あまりにファンファンしてて、ちょっとお前、無責任だろうという気持ちもあるみたいなんですけどね。もっと来いよ、みたいな」 スリムクラブの独特の間、独特な感性は、沖縄人ゆえかと思ったが、前事務所オリジン・コーポレーションの先輩であるひーぷーはこう否定した。「いや、あいつらは特別ですよ」 そのひーぷーとかつて漫才コンビを組んでいたミッキーもこう感嘆する。「普通、漫才をやってたら、あの間はないと思いますよ。あんなに黙るって、できない。あんなに待ったら、普通は、もう何も言えなくなります。言うタイミングがわからなくなると思う。えっ、次、どこで言えばいい? って」 1本目を終え、審査員が得点を発表する段となった。「94」「91」「88」「91」「93」と高得点が続いた。そして6番目の松本人志は「96」と、7人の審査員の中でもっとも高く評価した。それを見て、真栄田の目が潤んだ。「大好きな、一番尊敬する人にもらった点なので」◆「いつまでも内間と漫才をしてたい」 M-1は上位3組が最終決戦に進出する。スリムクラブは、そこまで断トツとなるトータル644点を叩き出した。3組目だったのであと6組残っていたが、十中八九、最終決戦でもう1本ネタを披露しなければならない立場に立たされた。 ところが、予選は1本のネタで通してきたため、2本目がなかった。1位の暫定順位席に座った真栄田は、思わず内間の手を握りしめていた。「それを見て、横のジャルジャルが笑ってましたね。でも、そのときのおれは必死だったので、そうして、落ち着け、落ち着け、って。2本目用に未完だったネタをその場で作り直してたんですよ。あれをやって、これをやって、あそこでおれがこう言うから、おまえはこう返せ、って。絶対大丈夫だからな、っていう感じでしたね。でも2本目は、今日は受け入れられてるなっていう感覚があったので1本目の時のような恐怖感はありませんでした」 2本目もスリムクラブは会場を大きく揺さぶり、最大級のうねりを起こした。真栄田は客がウケると膝を浅く折る癖があるのだが、2本目も何度も足をくの字にしていた。2本目のネタを終え、袖に隠れた時点で真栄田は涙ぐんでいた。「十分、やり切ったので。よかった、よかった、今日は、これから内間と飲みに行こう、って。もちろん、六本木ですよ」 しばらくすると、2本目をやり終えたコンビ・笑い飯の哲夫がやってきて、真栄田にこう言った。「自分らの勝ちや」 笑い飯は、9年連続で決勝進出を果たした「ミスターM-1」とでも呼ぶべき存在で、優勝候補の筆頭だった。真栄田が感慨深げに振り返る。「そのひと言で、また、泣いてしまいました。ただ、『審査員は好みがあるから、もしかしたら、おれらが優勝してしまうかもしれん。そのときは1万円で許してな』って。そしたら、もう、涙が止まらなくなって。内間と目が合って、かっこいいなって」 最終決戦の審査は、各審査員がおもしろいと思った組に1票ずつ入れることになっていた。その結果は、スリムクラブ2票、笑い飯5票で、笑い飯が戴冠した。それでも真栄田は、充実感でいっぱいだった。「勝ち負けなんて、どうでもよくなってましたから。哲夫さんも珍しく泣いてて。そうしたら、内間が後ろで『1万円、1万円』ってブツブツ言ってるから、早いわ! って」 M-1はこの年でいったん幕を閉じた。そして、2015年に復活する。出場資格制限も結成10年以内から15年以内に延び、スリムクラブは今も出場し続けている。しかし、2010年以降、上位3組の最終決戦の舞台からは遠ざかったままだ。真栄田が原因を分析する。「知らず知らずのうちに、結果ばっかり求めるようになってしまったんでしょうね。なんかいい感じ、いい気持ちで、わあーっといけなくて……。頭でっかちになって、ネタが浮かんでも、ああでもないこうでもないしているうちに時間だけが経っていって、もう、予選が始まってるみたいな。だから、いつもぎりぎりのネタ。きっちりネタが完成して、自信を持って臨んだってことがないんですよね」 そんな2人にとって、結成15年目となる今年は、大会規定によりM-1挑戦の最後の年となる。真栄田が言う。「どれだけ楽しくできるかじゃないですか。この前も、公園で子どもたちが遊んでて、なぜかわかんないんですけど爆笑してたんですよ。そしたら、こっちも理由もなく笑っちゃって。そういうのって、なんか伝わるじゃないですか」 2010年のM-1決勝の2人のネタが、まさにそうだった。 スリムクラブは真栄田が内間を救済し、ゆえに漫才コンビとして成立しているのだと思っていた。だが、話を聞き、何度も2人のネタを見ている内に逆ではないかと思えてきた。真栄田は内間とは違って神経が細かい。自分が発した言葉に対し、客がどう反応するかを常に観察している。だからだろう、合間合間で内間のおでこを叩く。ウケたときは照れ隠しでペシリとやり、滑ったときも照れ隠しでペシッとやる。内間がいるから、真栄田は真栄田でいられるのだ。「ほんとにそうだと思います。彼に出会えてよかったですね。変なやつだけど、ほんとに優しい男なんですよ。内間のこと好きですから、内間とずっとしゃべってたい。いつまでも内間と漫才をしてたいですね」 2人は今でも週3回のペースで飲みに行くのだという。真栄田が嬉しそうに語る。「最近、どうよ、みたいな感じですね。家族のこととか、子どものこととか、人生のこととか。1日ごとにだって、人間の考え方は変わりますから。飽きないですよ。おれも新たな悩みが出てきたりしたら、相談に乗ってもらったりとしてますね。内間と話すことで、なんか勇気が出てくるというか。不思議ですね」 我々がM-1の舞台でもう一度、2人に見せて欲しいのは、おそらく、そんなときの2人である。(5回連載/了)文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。
2020.04.14 16:00
NEWSポストセブン
あの「スローテンポ」はどうやって生まれたのか
スリムクラブが語る革命的「スローテンポ漫才」誕生秘話
 お笑い界最大の祭典「M-1グランプリ」2010年大会。制限時間内に多くのネタを詰め込むことを定石とする同大会で、あえてテンポを緩める漫才で「M-1史上最大の革命」と呼ばれたのがスリムクラブ(真栄田賢・44歳と内間政成・43歳)だ。だが、彼らは大会の直前まで「漫才には自信がなかった」と語る。そのコンビが「スローテンポ漫才」を生み出すまでの秘話を、ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/第4回)。 * * * そのときもまた、ガードレールで飲んでいた。2010年8月31日、キングオブコントの準決勝の日だった。スリムクラブは三度目の挑戦で、初めて準決勝までこぎつけた。ネタを終え、会場となった赤坂BLITZの外で、2人はビールを傾けつつ、ネットで流される結果発表を待っていた。内間は愉快そうに回想する。「キングオブコントの予選の中では、今までいちばんウケたんですよ。終わったとき、おっしゃーみたいな感じで。おれは決勝に行くと思ってたんで、打ち上げみたいな気分でした」 一方の真栄田は、その日の出来を苦い表情でこう追想した。「“亜空間”に入り込んでしまったかのようでしたね。滑り方が、意味わからなかった。なんか黒い渦に飲み込まれちゃったっていうか。準々決勝はあんなにウケたのに何でよ、って。もう終わったと思いましたね」 記憶は時間とともに書き換えられるものだが、それにしてもコンビ間でこれほどまでに異なるというのも珍しい。 どちらの記憶がより正確だったかはわからないが、結果は、落選だった。エンタの神様への出演が消滅してから、2年近く経ち、もう後がないと思って臨んだキングオブコントだった。重い空気が流れる中、内間は突然、「大事な話がありまして……」と切り出した。「どうした?」「子供ができました」 真栄田は面食らった。「ネタもつくらんのに、おまえ、子どもつくりやがって、って感じですよ。これは、いよいよ大変だなと思いましたね。神様が『沖縄に帰れ』って言ってるのかな、って」 内間は「ダブルショックだったと思います」と反省する。「落選で落ち込んでるときに、さらに、ですからね。ずっと、どのタイミングで報告しようか考えてたんです。キングオブコントで調子よく勝ち上がってるときだったんで、よし、じゃあ、優勝した時に言おうとか思ってたんですけど……。そのタイミングを失って、もうここしかないな、と。相方には別のタイミングがあっただろうって怒られましたね」 いよいよ瀬戸際に立たされた。いちおうエントリーしていたM-1の1回戦は、もう間近に迫っていた。前年、M-1でも、初めて準決勝に進出した。とはいえ、2人の本命はあくまでキングオブコントだった。真栄田が話す。「M-1に関しては、もう手当たり次第、出場できるもんは全部、出場しておこうというぐらいの感覚だったんで」 追い詰められた真栄田は、初めて漫才と正面から向かい合う覚悟を決めた。「漫才といえば、スーツですよね。なので、これまで、スーツを着たことなかったんで、まずはスーツを着てやってみよう、と。コントって、変な格好して出れば、それでまずウケるんですよ。ジャニーズのオーディションという設定にして、変な格好しているやつが『自分、合格ですか?』みたいな。それだけでおもしろいじゃないですか。でも漫才は、きちんとした格好をして、どうもスリムクラブと申しますから入らなければならない。それがまず怖かったですね」 内間もまったく漫才に自信がなかった。コントの中でも、会話のやりとりが続くシーンは漫才の掛け合いのようになる。しかし、そういうシーンになると途端にギクシャクしてしまった。「相方がボケてウケる。突っ込まなきゃと思って、僕が『何でだよ』ってやるんですけど、そうすると変な空気になっちゃうんですよ」◆「素のお前でいればいい」 内間のぎこちないツッコミに対し、真栄田は一度、ステージ上で、内間の肩に手を置き、こう叫んだことがある。「もう、突っ込まなくていい! 何もしなくていいから!」 それはそれでウケた。ただ、それは真栄田の偽らざる本心だった。真栄田は内間に言い続けていたことがある。「おまえは舞台の上でも、いつものおまえでいてくれ。おれはおまえと居酒屋で飲んでるとき、楽しいよ。ちびちびやってるときに、突拍子もないことを言うだろ? あれがおもしろいんだよ。それを舞台でもやれよ」 しかし、舞台という特別な場所で、普段の自分でいるということは想像以上に難しい。ノーメークで、もっと言えば、素っ裸で大勢の人の前に立つようなものだ。内間は真栄田に言った。「自信ないです。自分、ダメ人間なので」 それに対し、真栄田はこう声を荒らげた。「おれは、おまえが好きで組んでる。おれが好きなものをおまえは否定するのか。だったら、おまえがダメだっていう証明書、持ってこい。市役所で発行してくれるんか。できないだろ。おまえが自分でダメだって言ってるんだよ。誰もおまえのことダメだなんて言ってないよ。今のままのおまえでいい。おれが言っているんだから。な、信じろ」 そんなやりとりがあった後の舞台でのこと。コントの中で、やはり漫才のようなやりとりが続く場面で、真栄田がボケたあと、内間は黙り込んでしまった。そして、ポツリと呟いた。「……そ、そうなんですか」 すると、今まで経験したことがないほどの爆笑が起きた。「突っ込んじゃいけないと思って、そうなっただけなんですけどね。間ができちゃったところも、わざと空けたわけでなく、どうしようと思って考えてただけで。でも、ライブ終わったとき、相方が『これで行こう』って。これがお笑いなの? って思いましたけど、僕自身は、いちばん楽だったので。それまでは相方が何かしゃべったら、自分も必ず何か言わないといけないと思ってたんですけど、それもやめました。『なんで黙ってるの?』って聞かれたら『言うことがないんで』と言えばいい。これでいいんだ、と。そこから、間を味わう余裕も出てきて、少しずつ、自分たちの色というか、武器と呼べるものが出せるようになってきたんです」 ただ、コントでは武器になっても、漫才でそれが通用するかは未知数だった。 真栄田は漫才のネタを作るとき、基本的には、コントの中の会話部分を抜き取り、それらをつなぎ合わせた。 すると、改めてその作業をしたとき、思ってもみない現象が起きた。コントから小道具らの「装飾」を取り除いたとき、2人の会話のやりとりはさらに引き立った。つまり、さらに強力な武器となったのだ。(第5回に続く)文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。
2020.04.11 16:00
NEWSポストセブン
2010年のM-1決勝の舞台裏で何が(スリムクラブ。真栄田=左と内間)
スリムクラブ『エンタ』出演の舞台裏 内間「僕が一番得した」
 お笑いコンビ・スリムクラブの名がお茶の間に浸透したのは、漫才頂上決戦「M-1グランプリ」で準優勝した2010年だろう。だが、真栄田賢(44歳)と内間政成(43歳)の2人はその前に沖縄で活動し、上京後には『エンタの神様』に出演して“プチブレイク”を果たしていた。スリムクラブの沖縄時代を知る先輩芸人の評価と、2人が語る『エンタの神様』の舞台裏とは――ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/第3回)。 * * * 内間が東京へ行ってから約3年――。今度は、真栄田が東京行きを決断する。きっかけは、やはり沖縄の芸能プロダクション「オリジン」から東京進出を果たし、そこそこの成功を収めていた同世代の漫才コンビ・キャン×キャンの存在だった。漫画『サザエさん』の登場人物、マスオさんが「えーっ!」と驚くときのリアクションを漫才の中に取り込むネタで知られ、沖縄らしいほのぼのとした笑いが売りのコンビだった。「キャン×キャンが通じるなら、おれの方がおもしろいっていうのがあった。なので、今の自分があるのはキャン×キャンのお陰と言っていいかもしれない」 この血気盛んなところが、いかにも真栄田らしい。 ただ、東京で活動するには、オリジンを辞め、また自分で事務所を探さなければならない。真栄田は、手始めに内間に電話をかけた。すると、内間は自分とコンビを組まないかと提案してきた。そうすれば、吉本に入れると言うのだ。真栄田はひとまずその提案に乗っかることにした。「内間のことは友達としては好きだけど、芸人としては頼りないと思っていた。なので、彼には悪いけど、コンビを組むことを了承したのは、事務所に入るためのきっかけに過ぎなかった。あと、偉そうな言い方だけど、おれが鍛えて、おれ仕様にしてしまえばいいんだとも思っていたんです」 ただし、事はそうスムーズには運ばなかった。吉本に所属するには原則、NSC(養成所)上がりか、相応の実績の持ち主でなければならない。いくら真栄田に実績があるとはいえ、沖縄限定である。そのため最初は断られた。真栄田が思い出す。「NSCの校長に会ったら、『みんな高い金払って、1年間がんばって吉本に入ってんだ。おまえだけ金も時間もカットできるか。おまえ、何様なの?』みたいなことを言われて。でも、もう、引き下がれなかった。これまでやってきた仕事の話とか、3時間ぐらい粘って、そうしたら向こうもこっちの熱意に打たれたみたいで、特別に入れてくれることになったんです」 内間は東京NSCの8期生になるが、真栄田も同等の扱いを受けることになった。新たな所属先が決まり意気揚々としていた真栄田とは反対に、じつはその頃、内間は芸人引退を真剣に考え始めていたという。「沖縄から出てきても、状況はまったく変わらなかった。東京に来てから2、3年経っていたんですけど、すでに相方が5、6人替わってたんです。だいたい、おれの方から辞めようって言い出しました。そんときも売れないのは相方のせいだって思っていたんで。当時は、おれが全部ネタを書いてたんです。なので、今にして思えば、おれが書いてたからダメだったのかもしれませんね。さすがにおれも環境のせいじゃないなって気づき始めたんです。 ただ、賢さんのことは先輩としても芸人としても大好きだったし、めっちゃおもしろいと思っていたんで。なので、電話があったとき、運命を感じたんですよね。真栄田さんとお笑いの世界を繋ぐことがおれの最後の役割なんじゃないかなって。なので、組むというより、東京で少し同じ時間を過ごして、おれだけ辞めてもいいかなって思っていたんです」 ともあれ、2005年2月、2人は正式にコンビを組んだ。コンビ名は「スリムクラブ」に決まった。「スリム」という語感のよさが気に入り、それに仲間が集まる場所というニュアンスを持つ「クラブ」を付けた。 オリジン時代の先輩芸人であるひーぷーはそのコンビ名を聞いたとき、なにやら期待感めいたものが湧き上がってくるのを感じたという。「こいつららしいなと思いましたね。面白い、と。今でこそ、すっかり耳慣れちゃいましたけど、最初、全然意味がわからなかった。スリムクラブって、何じゃそりゃ? って。外から見てて、普通、あいつら2人をくっつけようとは思わないですよ。賢の世界観と、内間の世界観は真逆なので。なんて言うのかな、ピカソとゴッホみたいなもん。どっちも天才ですけどね」◆『エンタ縛り』に苦しんだ しかし、天才と天才は、そう簡単に融合しなかった。結成年の2005年にスリムクラブは初めてM-1に出場した。ただ、その頃、2人が力を入れていたのはコントだった。真栄田が話す。「漫才はしてなかったというより、タイプ的にできると思ってなかった。コントの方が道具を使えるので、漫才より簡単だと思っていたんです。白菜にイヤフォンのプラグを刺して、“オーガニックなiPad”みたいなことをやったり。『ザ・タカシ』っていうキャラクターでコントをしてたこともあります。セルシオの、運転席と助手席の間のぱかっと開くところ(コンソールボックス)があるじゃないですか。あれのカバーをヅラがわりに頭に乗っけて、サングラスして、半ズボン・タンクトップで出てたんです。それがけっこうウケてたんです」 M-1の舞台も、その出で立ちでステージに立った。結果は1回戦敗退だった。2008年から「キングオブコント」という、コント日本一を争う大会が始まった。以降、スリムクラブはそちらの賞レースに比重を置いていて、最初の数年、M-1はまったくといっていいほど力を入れていなかった。 スリムクラブに最初の波がやってきたのは2007年秋だった。当時、出演すれば瞬く間にスターになれると言われた伝説のネタ番組『エンタの神様』(日本テレビ系)から出演依頼が舞い込んだのだ。ただ、やや変則なオファーだった。真栄田が話す。「担当者に、2人のネタでは通用しない。でも、おれの見た目と声は使えるので、おれ1人でいいなら、ということだったんです」 真栄田はそのことを伝えるために六本木に内間を呼び出した。その頃、2人はよく六本木で飲んだ。と言っても、コンビニで発泡酒を買って、ガードレールに腰掛けて飲むのだ。真栄田は飲みながら「金持ちを見とけ。いつかおれたちもああなるぞ」と言うのが常だった。 内間が来るなり、真栄田は「エンタから呼ばれたんだ」と告げた。内間は大喜びした。続いて、じつは出演依頼を受けたのは自分1人だけなのだと説明したが、それでも内間は「めっちゃ嬉しいです」と笑顔を見せ、今日はおれが奢るのでお祝いしましょうとまで言ったという。内間が当時の心境を振り返る。「おれは賢さんのファンなんで。なので、自分たちが売れる売れないの前に、真栄田賢という人間をいろんな人に見て欲しかったんです。だから、形としては不本意でしたけど、嬉しかったというのは本当です」 真栄田は『エンタの神様』に「フランチェン」というフランケンシュタインを模したキャラクターで出演することになった。制作サイドのアイディアだった。演出上、声のみだがフランチェンに指令を出す博士役の人間が必要となり、それを内間が担うことになる。つまり、最終的にはスリムクラブとして出演することができた。 テレビの仕事が定期的に入るようになったことで月収は数万円から一気に50万円ほどに跳ね上がった。内間はこう感謝する。「結局、僕がいちばん得しました。ギャラも同じだったんで」 ところが2008年冬、そのエンタへの出演が打ち切られることが決まった。真栄田は「真っ暗になった」と振り返る。「あなた方はクビです、って。まあ、そういう言い方でした。ほんと、怖くて。仕事がなくなって、お金もなくなって。当時、『エンタ縛り』っていうのがあったんですよ。エンタ以外は出ちゃダメだという。だから、他のテレビは全部、断っていたので、クビになって他にお願いしますって言っても、今さらなんだみたいなのもあるじゃないですか」 追い込まれた2人は「キングオブコント」で勝つしかないと、これまで以上にネタ作りに真剣に取り組むようになった。(第4回に続く)文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。
2020.04.09 11:00
NEWSポストセブン
あの「スローテンポ」はどうやって生まれたのか
スリムクラブ沖縄時代、真栄田と内間が笑いの門をくぐった日
 漫才頂上決戦「M-1グランプリ」の2010年大会で、「スローテンポ漫才」を披露して準優勝に輝いたスリムクラブ(真栄田賢・44歳と内間政成・43歳)。絶妙な間合いで笑いを生み出す彼らだが、約20年前に地元・沖縄でピンとして活動していた当時は、コンビを組むことすら考えていなかったという。知られざる沖縄時代のスリムクラブについて、ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/第2回)。 * * * 内間の感性を象徴するエピソードがある。ボケ役で、コンビの操縦士と言ってもいい真栄田の回想だ。「大学の近くに西原って飲み屋街があって、そこを2人で歩いていたら、単色の、きれいなゲロがあったんです。そうしたら、内間が『このひと、一品しか食べてない』って。そんなこと言うやつ、なかなかいないでしょ」 2人がまだ琉球大学の1年生だったときの話だ。高校まで学年は真栄田が1つ上だった。ところが、大学受験の際、真栄田は三浪、内間は二浪したため、大学で同学年になった。その吐瀉物の一件がきっかけとなりコンビを組むようになった、というほどの話ではない。ただ、真栄田の中で、内間とはこういう人間なんだと強くインプットされた出来事ではあった。 2人が出会ったのは、ともに琉球大学に入学し、ひと月ほど経った頃だった。真栄田の知り合いが、おもしろいやつがいると、真栄田と内間を引き合わせてくれたのだ。それから2人は、クラブなどへよく飲みに行くようになった。一緒にナンパもした。だが、関係は、それ以上でもそれ以下でもなかった。平たく言えば、飲み仲間の内の1人だった。 教師志望の真栄田は教育学部を選択し、具体的な将来設計を持たない内間は法文学部に通っていた。芸人の道に足を一歩踏み入れたのは、真栄田が先だった。真栄田は大学でプロレス同好会に所属していた。そこで、マサ斎藤という名レスラーをもじって「マサ最高」の名でリングに立っていた。「まあ、コメディーレスラーっていうか、第1試合で笑いを取る役割でした。白いブリーフをはいて出て行って、『パンツドライバー!』ってやってたんです」 パイルドライバーの和訳は「脳天くい打ち」。つまり、頭から地面に叩き落とす技なのだが、その際、相手の頭部をパンツの中に入れるというのがマサ最高の得意技だった。「ある日、それの応用で、フルチンで、『ノーパン式パンツドライバー』っていうのをやったら、めちゃくちゃウケたんですよ。そこで僕は快感を覚えちゃったんです。それまでは、おもしろいといっても、クラスの人気者みたいな感じだったんです。でも、知らない人にも笑ってもらって、おれの笑いは身内以外でも通用するんじゃないかと」◆原点は「オリジン・コーポレーション」 そうして真栄田は大学3年生のとき、沖縄の芸能プロダクション「オリジン・コーポレーション」のオーディションを受けた。オリジンは真栄田が大学生になる前年、1996年に誕生したばかりの沖縄の新しい芸能事務所だった。現社長が、結婚式の2次会で、ダーティービューティーというコンビの漫才を見て感激し、その2人を売り出すために立ち上げた事務所だった。 ところが、オリジンを立ち上げたとき、すでに28歳だったダーティービューティーはほとんど売れることがないまま、1998年12月、30歳になったのを機に解散してしまう。ツッコミ役だったひーぷーは沖縄人に受け入れられなかった理由をこう読み解く。「ダウンタウンさんに憧れていたので、芸風的に、どつき漫才だった。今はもうそんなことないでしょうけど、その頃、沖縄の人は、どつくと『痛そう~』って引いちゃう感じがあった。優しい笑いが好きなんです。僕らは言い方がキツかったんで、ちょっとガラが悪い感じに映ってしまったのかもしれません」 ひーぷーはコンビ解散後、ピン芸人になってからようやく才能を開花させる。今では11年続く冠番組を持ち、沖縄では知らない人はいないほどの人気者となった。真栄田がオリジンの門を叩いたのは、ダーティービューティーが解散した直後だった。ひーぷーが当時を思い出す。「うん、覚えてますよ、(真栄田)賢が来たときのことは。僕、オーディションの審査員をやってましたから。どこのホストかって思うほど、チャラい格好をしてたんですよ。その上、声がガサガサなんで、半分以上、何言ってるかわからない。なので案の定、落ちた。でも代表(社長)はいつもそうなんですけど、落ちたやつにも、その後、電話して、事務所に呼ぶんです。当時はタレントの人数がそもそも少なかったんで。それで見習い期間としてしばらく面倒を見て、やる気のあるやつは残る。僕は賢に『お前は向いてないと思うよ』って言ったんですけど、それでも彼は残りましたね」 オリジン所属の芸人は月1回、事務所主催の定期ライブに出演することができた。そこで真栄田はさっそく頭角を表した。真栄田が当時の芸風を振り返る。「最初は陣内(智則)さんのパクリばっかりやってました。すごい好きだったんで」 陣内は1人コントを得意とする芸人である。効果音、音楽、映像等を駆使し、それに対して突っ込むという独特な世界観を作り出し、今なお陣内の発明はさまざまな芸人に影響を与えていると言われる。真栄田が準備してきた小道具を操作するのは、演出を手掛けていたひーぷーだった。「当時、沖縄であんなことのできる芸人はいませんでした。すごい緻密な台本で、音を出すタイミングとか、本当に緊張しましたね。僕と息が合わなかったら、台無しになってしまうので。いつもあいつの台本見るの、怖かったですもん。またこんなに仕掛けがたくさんあんのか……って」 会場はいつも大爆笑だったが、真栄田の中では、どこか満たされない部分があった。「システム自体がよくできてるんで、ウケはするんです。でも所詮、人の真似ですし、周りの芸人からは、普段のお前の方がおもしろいんだから、それを出した方がいいんじゃないかみたいに言われてて。それで音響などに頼らず、1人でアホなことをほざくみたいなことをやり出したら、そんなにウケなくはなりましたけど、気持ちは良かった。本音を吐けるので。男の人だけが笑う、ちょっとマニアックな笑いになっていきましたけど」 一方の内間はその頃、そんな真栄田のことを客席から眺めていた。「オリジンのライブ、しょっちゅう行ってましたから。だいたい2、3人を目当てで行くんですけど、賢さんはそのうちの1人でしたね」 客席の反対側、ステージに立つことに惹かれたのは内間が就職活動を始めた頃だった。「自分の人生に迷ってて、就職したいっていう気持ちがなくなってしまったんです。母親がけっこう教育ママで、やってもいないうちから、どうせ失敗するんだからダメだっていうタイプだったんです。だから、本音を言えない、何々をしたいって言えない人間に育ってしまった。その窮屈さから解き放たれたくて、一つの反発として、だったらお笑いに行こうとふと思ったんです。自由を求めて」 内間も真栄田に続いてオリジンに入所する。内間は「コットン内間」という芸名で、やはりピン芸人として活動を始めた。ところがまったくウケなかった。 たとえば、フルフェイスのヘルメットを被り、着物姿で出てきて、訳のわからないことを呟いて去っていく。内間曰く「思いつきでどんどんやってただけ」という。計算で笑いを取る真栄田とは正反対だった。ひーぷーは苦笑まじりに回想する。「内間は、ひどかった。こんなの絶対ウケるわけないだろってことばっかりやってましたから。今、考えたら、すごいっちゃすごいんですけどね。皇族の格好してネタやったりするんですよ。いつも『お前、チャレンジャーだな』とは言ってました」 内間の挑戦は、ネタだけに止まらなかった。オリジンのライブではまったくウケないまま、およそ1年後、東京進出を思いつく。オリジンを辞め、東京NCS(吉本興業の芸人養成スクール)に入学することにしたのだ。内間が語る。「その頃のおれはいつもそうだったんですけど、人のせいにばっかりしていたので。ウケないのはおれのせいじゃなくて、沖縄の環境が合ってないんだと。社長は、おれが東京へ行くって言ったとき、反対しようと思ったらしいけど、おれと話しても無理だって思ったみたいです」 真栄田も冷めた目で見ていた。「みんな何も言わなかったけど、やめたほうがいいと思ってましたね。でも、あの頃の内間はライブ後の反省会とかも平気でサボるし、やばいやつだったので」 この時、少なくとも、真栄田の中で将来、内間とコンビを組むことになるとはつゆほども考えたことはなかった。(第3回に続く)文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。
2020.04.06 16:00
NEWSポストセブン
2010年のM-1決勝の舞台裏で何が(スリムクラブ。真栄田=左と内間)
スリムクラブが挑んだ「2010年のM-1決勝直前」の舞台裏
 4500組を超える漫才師が頂点の座を目指してネタを披露する、お笑い界最大の祭典「M-1グランプリ」。今年で第16回目を迎えるM-1で、2010年に「史上最大の革命」と呼ばれる漫才を披露したコンビが、スリムクラブ(真栄田賢・44歳と内間政成・43歳)だ。制限時間内に多くのボケを詰め込むことを定石とする同大会で、圧倒的に言葉数を減らす「スローテンポ漫才」を生み出した。彼らはいかにしてコンビを組み、やがて“革命的漫才”に辿り着いたのか──ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/第1回)。 * * * 自信メーターの目盛りは「0」だった。「死刑台のエレベータに乗せられてるような気分でしたね」 2010年12月26日、M-1グランプリ決勝。沖縄出身の漫才コンビ・スリムクラブは、結成5年目にして、国内最大の漫才コンテストの大舞台に立つことになった。 スリムクラブの出番は3組目だった。2組目のジャルジャルのネタが終わると、スリムクラブは番組スタッフから舞台裏にスタンバイするように促される。 いよいよ、である。ところが、コンビを引っ張る方と言っていいだろう、ボケ担当で年上の真栄田の精神状態は最悪だった。身長183センチでいかにも屈強そうな真栄田の声は独特で、喉を潰したミュージシャンのように嗄れている。「めっちゃ緊張してて、100パー、スベるってわかった。スポーツ選手じゃないですけど、自分の調子の良し悪しって、わかるんですよ。ああ、これはやばいな、って。でも、もう自分の力ではどうすることもできなかった。スベりに行くとわかっていて、舞台に立つわけですから。死にに行くのも同然ですよ」 2人は、12月12日の準決勝で決勝進出を決めた。ところが、それからというもの劇場ではさっぱりウケなくなってしまった。渋谷にあった若手芸人のための舞台、シアターDで開催されたライブイベントでは、お客さんの投票で16組中15位という屈辱を味わう。真栄田の回想だ。「こう言っちゃなんですけど、シアターDは下級戦士たちの集まる舞台ですよ。そこで、新人のめちゃめちゃ緊張している女芸人とかにも負けて。M-1でやる予定のネタだったので、これはやばい、ってなって。ちょっとナーバスになりましたね」 ツッコミ担当の内間は、途端にウケなくなった理由をこう分析する。内間も身長180センチと背は高いが、真栄田とは対照的にいかにも頼りなさげで、ひょろりとしている。「色気でしょうね。M-1の決勝を控え、どこかで気負っていた。優勝しようとかまでは考えてませんでしたけど、全国ネットなので、いい格好したいじゃないですか。ウケるでしょう、おもしろいでしょうを全面的に出し過ぎてたんだと思います。うちらのネタって、ちゃんとしたボケじゃない。なので、雰囲気ありき。力めば力むほど、そのよさが消えてしまうんです」 漫才と観客の関係性は、イソップ童話『北風と太陽』を想起させる。この物語は、互いに力自慢をしていた北風と太陽が、ある日、旅人のコートをどちらが先に脱がせることができるか勝負しようとなったところから始まる。先攻の北風は勢いよく風を吹き付け、力づくでコートを剥ごうとする。ところが、旅人はコートの前を手でしっかりと合わせ、風に負けまいと抵抗する。一方、北風に代わって登場した太陽は、旅人に燦々と陽光を浴びせる。すると、その陽気に誘われるように旅人は自らコートを脱ぎ捨てる。太陽に軍配、という物語だ。 人に何かを望むとき、力で行くとかえって抵抗に遭う。一方、優しさで包みこめば、相手は体の力を抜き、心を許してくれる。様々な解釈があるとは思うが、そんな教訓を連想させる物語でもある。 漫才も似たところがある。演者が無理やり笑わせようとし過ぎると、客はかえって固くなってしまうのだ。この時期のスリムクラブは、言うなれば「北風」だった。◆決勝の舞台裏で「今までありがとうございます」 M-1決勝の本番直前、そんな真栄田を変えたのは相方の内間だった。失敗する予感に支配されていた真栄田は、突然、左肩に重さを感じた。横を向くと、内間が自分の肩に手を置き、感極まった表情をしていた。そして声を震わせながら言った。「(真栄田)賢さん、今までありがとうございます」 あまりに場違いなセリフに真栄田は当惑した。「えっ? 今日で解散すんの?」 内間は笑って「……いや、そういうことじゃなくて」と否定し、神妙な面持ちで続けた。「おれ、ポンコツじゃないですか。そんなおれがM-1の最後の9組に残ったんですよ。いつもネタも作ってくれて。全部、賢さんのお陰です」 舞台の真裏に移動してからというもの、緊張しっぱなしだった真栄田とは対照的に、内間は感動しっぱなしだった。セットの隙間から、決勝のきらびやかなステージがちらりと見えた。その光量と、豪華な審査員たちと、客の笑い声。それらが迫ってきて、胸が一杯になった。内間が振り返る。「感動し過ぎて、気負うよりも『ありがとう』がわーっと強くなってきて。これは誰のお陰かなと思ったんです。ああ、相方のお陰だと。うちらのコンビは、相方が120パーやってくれてたんです。ネタをつくる、演技する、演出をする、おれのメンタルトレーナーもやる。1人で三役も、四役もやってたんです。それなのに、おれは相方にありがとうを言ってなかったなと思って。いつ言おうかなって。今じゃないな、でも、明日でもないなと」 一瞬、迷った。だが、そう思った直後には、口にしていた。真栄田はいつもの真栄田ではなかったが、ある意味で、内間もいつもの内間ではなかった。「おれ、あのとき、初めて調子よかったんです。普段は緊張しいで、取材とか打ち合わせですら緊張してたんです。決勝の日も、最初は緊張してたんです。そもそもお客さんに対して不信感もあって。どうせ、おれらのネタはわかってくれないだろうとか勝手に思ったりしてたんです。でも、あのときは、お客さんがピカピカしてて、優しそうに見えた。お花畑にいるような……。いつも余計なことばっかり考えてしまうんですけど、それらが全部抜け落ちて、残ったのはありがとうだけでした。たぶん、もともとお客さんは優しかったんでしょうね。おれがひねくれてたから、信じられなかっただけで」(内間) 緊張する内間を真栄田がほぐすというのがいつもの構図だった。ところが、一世一代の大舞台を迎え、役割分担が逆転していた。内間は、真栄田の図星を突いた。「賢さん、今日、調子悪いでしょう? 実は僕、今日、絶好調なんです。おれだけを見てて下さい。おれ、賢さんのネタが大好きで、おれは、絶対笑ってますから。表情は(ネタの役柄上)困ってるように見えるかもしれませんけど、心で笑ってますから。さあ、行きましょう」 珍しく頼り甲斐のあることを言ったと思いきや、内間は、せり上がりに足をかけようとしたところで躓いた。真栄田が思わず笑みをこぼす。「あの瞬間、ふっと力が抜けましたね」 もちろん、内間は真栄田をリラックスさせようと思って突然、そのような行動に出たわけではなかった。「おれ、そんなに気が利かないですから。気が利かなさ過ぎて、今でも週一回くらい、嫁に怒られてますから。感動して、ひとりで勝手に盛り上がってただけなんです」 だが、そのぶん、邪心がなかった。その混じり気のなさが、真栄田を蘇らせた。M-1の勇ましい登場曲に合わせ、2人が階段から駆け下りてくる。ステージの前に立った2人の表情は幸福感に満ちていた。真栄田「どーも! スリムクラブといいます。よろしくお願いします」内間「よろしくお願いしまーす」真栄田「いやー、みなさん、お疲れ様です」内間「です」 このややとんちかんな入りで、いきなりどっと受けた。観客はすでに2人の「暖かさ」に包み込まれていた。M-1史上、最大の革命と言っていい漫才が、いよいよ始まろうとしていた。(第2回に続く)文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。
2020.04.04 16:00
NEWSポストセブン
2010年のM-1決勝の舞台裏で何が(スリムクラブ。真栄田=左と内間)
スリムクラブ復活への途「今年のM-1優勝イメージしている」
「闇営業」問題から約9か月。宮迫博之や田村亮ら渦中の芸人たちが“復活への途”をそれぞれに歩み始める中、漫才師としての再起に並々ならぬ思いで臨むコンビがいる。かつて「M-1最大の革命児」と呼ばれながら優勝を逃し、その後、闇営業問題で謹慎生活を送ったスリムクラブの2人・真栄田賢と内間政成──。ノンフィクションライターの中村計氏が、謹慎期間を終えて再起を目指す2人の思いを聞いた。 * * *◆「漫才で取り返せ」(2019年)8月に入ると、真栄田は大先輩の漫才師・島田洋七から呼び出しを受けた。宿泊中のウエスティンホテル東京の部屋に来いとのことだった。部屋に到着するなり、こんな話をされた。「昨日、(島田)紳助と会ってな。お前らの話になったんよ。紳助は『おれはよかったと思うで。チャンスや』って。『こんなことでも起きなかったら、あいつら、今もM-1準優勝の余力で、適当にのらりくらりやってたやろ。あいつら、漫才でここまで来たんやから、漫才で取り返せって言うといてくれ』と。 漫才、ちゃんとやってるんか? 2着までいったんなら、1着目指さんかい」 わずかな時間だったが、真栄田の腹は決まった。M-1のエントリー締め切りは8月31日だ。島田の言葉を聞くまでは立場上、自粛すべきかとも考えたが、それは単にM-1から逃げたがっているだけだった。 ただし、マイナスからの再スタートだった。笑いとは、究極のところ、お客さんに愛してもらえるかどうかだ。2010年のM-1で、スリムクラブは言葉を発することなく、その佇まいだけで場内を爆笑の渦に巻き込んだ。つまり2人の存在そのものが客のハートをつかんでいたのだ。 どんなにおもしろいことを言っても、愛されていなければ、客は心を固く閉ざしてしまう。それだけに、闇営業問題で少なからずスリムクラブに付着してしまった負のイメージは大きなビハインドになった。 結論から書くと、昨年末のM-1においてスリムクラブは準々決勝で敗退した。復帰ステージと同様、闇営業ネタを織り込み、客の心をほぐしにかかったが、2010年のときの客席を幸福で覆い尽くすような笑いは生まれなかった。真栄田が敗因をこう分析する。「ガタガタでしたね。結局、闇営業問題でこうなって、そのマイナスを取り戻すための漫才になってた。客からマイナス分を奪おうとしているんですよ。それは、“ブラックエンジン”なんです。 ジャパネットたかたの商品が売れる理由、わかります? 本当に自分でいいと思った商品をただ人に紹介しているだけだからなんです。僕らも2010年はそうだった。こんなおもしろいネタができたんで、見てくれませんか? ね、めっちゃおもしろいでしょ、って。奪うんじゃなくて、与えようとしていた。なので、“ホワイトエンジン”だったんです」 内間も似た感想を漏らした。「うちらは自分のエゴが出るとダメ。去年は、これ、ウケるでしょうって、押し売りのようになってしまった」◆「局長、ありがとうございます」 スリムクラブは今年、結成15年目を迎えた。M-1に出場できるのは大会規定で今年が最後になる。 真栄田は2005年に東京に出てきてからというもの、毎朝、湯船に浸かり、30分から1時間、イメージトレーニングをするのが習慣になった。「ずうっと、イメージしてるんですよ。最初、東京に出てきたときは、埼玉の小手指っていうさみしい田舎に住んでいたので、湯船に浸かりながら、絶対ここから這い上がってやるって」 今、イメージしているのはこんなシーンだ。「ラストイヤーのM-1で優勝して、内間が泣きながら抱きついてくるんですよ。『ありがとう』って。僕も、(優勝できるって)言っただろう、って。それで審査員の松本(人志)さんからトロフィーをもらって。3代目局長(※注)なんで、『局長、ありがとうございます』って言うと、松本さんが『局長、言うな』って返してくれる。そこまでイメージしてるんです」【※注/2019年11月22日放送回をもって、西田敏行は『探偵!ナイトスクープ』局長を降板し、新局長に松本が就任した】 振り返れば、2010年を迎えたときも、同じような苦境の中にいた。内間に子どもができたことがわかった直前に、主な収入源となっていたテレビ番組のレギュラーを外されたのだ。 その逆境が力になった。今も7割方仕事は戻ったものの、いまだ復帰のかなわぬ『探偵!ナイトスクープ』をはじめテレビ出演は減少したままだ。この状況を変えるには、大きなチューンアップが必要だ。真栄田が続ける。「M-1優勝のイメージを涙が出るくらい強くイメージできるようになったら、きっと、思った通りになる。死ぬ間際、2020年の自分にありがとうって言えるような年にしたいですね」 背負った十字架は小さくない。だが、それを克服したとき、スリムクラブは2010年のような、いや、2010年を超える超強力なホワイトエンジンを手にする。●なかむら・けい/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・執筆を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。※週刊ポスト2020年3月13日号
2020.03.03 07:00
週刊ポスト
2010年のM-1決勝の舞台裏で何が(スリムクラブ。真栄田=左と内間)
スリムクラブ告白 松本人志、松村邦洋、西田敏行に救われた
「闇営業」問題から約9か月。宮迫博之や田村亮ら渦中の芸人たちが“復活への途”をそれぞれに歩み始める中、漫才師としての再起に並々ならぬ思いで臨むコンビがいる。かつて「M-1最大の革命児」と呼ばれながら優勝を逃し、その後、闇営業問題で謹慎生活を送ったスリムクラブに再起を決意させた“先輩芸人”からの言葉とは──。ノンフィクションライターの中村計氏がスリムクラブの2人にインタビューした。◆「どーんと落ちた」 ネタに入りそうで、なかなか入れなかった。「すいませんでした……」 口を衝いて出てくるのは、謝罪の言葉ばかりだった。「申し訳ない……」「すいませんね……」「すいません……」 2019年8月19日、新宿駅に隣接する「ルミネtheよしもと」。身長183cmのごっつい真栄田賢(43)と、身長180cmのほっそりした内間政成(43)は、謹慎明けの最初のステージで、体を小さくし、何度も頭を下げた。 沖縄出身の漫才コンビ、スリムクラブだ。「スリム」という語感が気に入り、それに仲間を意味する「クラブ」を付けたのがコンビ名の由来だ。 その名が全国に知れ渡ったのは2010年暮れだった。お笑い界最大の祭典「M-1グランプリ」で準優勝したのだ。 スリムクラブの漫才はM-1に一大革命をもたらした。それまで、M-1必勝法は制限時間の4分間にいかに多くのボケを詰め込むかだと考えられていた。そのためアップテンポな漫才の方が有利とされていた。ところが、スリムクラブはその逆を行った。テンポを極端に緩め、ボケ数を最小限にし、しかし「間」で笑わせたのだ。つまり、喋らずに爆笑をさらったわけだ。 M-1準優勝を境に景色が一変した。真栄田は、人気も、知名度も、収入も、「垂直に上がった」と振り返る。「やばいですよ、M-1の影響力は。打ち上げを終えて帰るとき、(深夜)12時ぐらいかな、道行く人に指差され、電車に乗ったら、もう、ざわついてるんですよ。『M-1の人じゃない?』って。最初の3年ぐらいは仕事量も異常でしたから」 だが、もちろん、いつまでも垂直に上昇し続けるわけではない。真栄田が成長曲線の続きを話す。「2013年くらいから落ち着きはじめて、横ばいになって。で、こないだでどーんと落ちた」 2019年夏、お笑い界は、大スキャンダルに揺れた。吉本興業所属の宮迫博之や田村亮ら芸人が反社会勢力の集まりに参加し、連日、ワイドショー等を賑わした一連の闇営業問題である。 その渦中の6月28日、そこから飛び火するかのように一枚の写真が写真週刊誌に掲載された。夜の飲食店らしきところでスリムクラブと数人の男が一緒に写っている写真だった。この写真は遡ること3年、2016年夏に撮られたものだった。 スリムクラブは他事務所の芸人仲間から「ギャラ10万で飲食店経営者の誕生日会に来て欲しい」と声をかけられ、軽い気持ちで応じた。ところが、そこに座っていたうちの1人が指定暴力団の幹部だったことがのちにわかったのだ。 2人の所属先である吉本興業は、無期謹慎処分を言い渡す。その際、2人は事務所が発表するリリース用の謝罪コメントをしたためた。奇しくも、同じ書き出しになった。〈悔しいです〉 真栄田が本音を明かす。「恨み節ですよ。僕らを紹介した人に対してとか。飲食店のオーナーって言ったじゃんって」 だが、いろいろな人の意見を聞いて、その言葉は削除した。内間が話す。「気持ちはわかるが、自分に非がないということを押し出し過ぎてると。今になると、そうだなと思えるんですけど、あのときは本当に悔しさしかなかったんで」 内間は復帰ステージに立ったときの心境をこう思い出した。「お客さんが、今の僕らにあまりいいイメージを持ってないと思っていたので、『お帰り!』とか言ってもらえて、うわ、本当にお騒がせしてすみませんっていう気持ちになって。他に何を言えばいいのかわからなくなってしまいましたね」 だが、しんみりとさせることが彼らの仕事ではない。客を笑わせなければ舞台に立つ資格はない。不謹慎の誹りを受けぬよう、ギリギリのところで真栄田は「罪」を笑いに変えた。「変な人、混じってませんか?」 あるいはネタの中で「反社っぽい人」という単語をあえてまぶし、事件を連想させつつ、客の心をくすぐった。真栄田の回想だ。「迷いましたね。ビビリな性格なんで、反省してないんじゃないのって怒られるの、怖いじゃないですか。でも、笑いも取らんといけないし」◆西田敏行からの電話 謹慎中、真栄田は軽いパニック症状に陥ったという。「無期謹慎って言われたときは、人生でいちばんの恐怖を味わった。胸が苦しくなって。夜もなかなか眠れないので、外を歩き回って。パニックになって、いろんな人に電話をかけて、金貸してくれ、金貸してくれって。ちょっとおかしくなってましたね」 2人とも稼ぎは悪くなかったが、真栄田には極端な浪費癖があった。「おれ、蓄えがないんです。ギャンブルはやらないんで、ほとんどが飲み代ですね。それも後輩に奢って、自慢したいだけなんですよ。まあ、女も好きなんで、浮気もしましたけど」 一方、内間はカメラ恐怖症になった。「ネットにうちの住所が晒されていて。丁目も番地も号も、最後まで載っていたので、家にけっこう記者が来て。家を出るとわーっと寄ってきて、それがめっちゃ怖かったです。それ以来、カメラを持っている人を見ると、ビクッとするようになっちゃって」 ただ、苦しかったときだけに、人の優しさが身にしみた。 真栄田の窮状を知り、真っ先に手を差し伸べてくれたのは吉本興業の先輩でもあるダウンタウンの松本人志だった。真栄田が振り返る。「食事に呼んでもらって、まず最初に『お前、嘘はついてないよな。ほんまに知らんで行ったんよな』と。なので、はい、と答えました。そうしたら、経済的なことでもなんでも助けてやるって言ってくれたので、お願いしますって即答したら、横にいた(先輩芸人の)たむらけんじさんに『早い! 早い! 一回は断るもんや』ってたしなめられました。 でも、しばらくして、放送作家の方がうちにお金を届けてくれたんです。誰からですかって聞いたら、『本人はタイガーマスクと名乗ってます』って。あ、松本さんや、ありがとうございます、って」 また、事件後に降板したバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』で一緒だった松村邦洋は毎晩のように真栄田に電話をかけてきてくれた。あるときは漫談を30分も聞かせてくれた。 情報番組『スッキリ』でMCを務める加藤浩次が吉本興業に対し「経営陣が変わらないなら僕は会社を辞める!」とかみついたときは、加藤の身を案じつつ、こんな持論をぶつけてきた。「真栄田君、大塩平八郎の乱も、島原の乱も、乱と呼ばれたものは全部、鎮圧されてきた。加藤君も、加藤の乱って言われてるじゃないですか。彼は、ちょっと早まったんじゃないかな」 真栄田は松村にも無心を申し出たが「僕は金の貸し借りはしてないんだ。ごめんね」と断られる。すると、後日、一冊の本が送られてきたという。「相田みつをの本でした。彼、優しいんですよ。そのあとも、酒でも飲んでくれって、獺祭を送ってきてくれましたね」 謹慎中は老人ホームでボランティアをしながら、時間さえあれば、災いを招いてしまった自分たちと真正面から向き合った。内間は自分の卑しさを恥じた。「あのときは、せこい考えがあった。生活費を稼ぐためというより、僕は単なる遊ぶお金が欲しかったんです。もらえるもんはもらっておこうみたいな考え方です」 真栄田は『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長だった俳優・西田敏行からの電話で目が覚めたという。「自分の中にあった恐怖心について考えてるとき、西田さんから電話があって『真栄田君、自分が何でお笑いを選んだのか、何で舞台に立っているのか、もう一度、よく考えてみなさい』って言われて。そうだって思った。やっぱり、人を笑わせるのが好きだったんですよ。なのに、いつの間にか地位とか金を追いかけてた。そんなんじゃ楽しくできねえよなと」●なかむら・けい/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・執筆を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。※週刊ポスト2020年3月13日号
2020.03.02 07:00
週刊ポスト
週刊ポスト 2020年3月13日号目次
週刊ポスト 2020年3月13日号目次
週刊ポスト 2020年3月13日号目次がん保険に入ったのに治療費がおりなかった!・退職金でリフォームしたのに70歳すぎたら不便だらけに ・“終の棲家”に選んだ老人ホームを認知症で追い出されてしまった ・父に遺言書を書いてもらったのに開封したら「無効」だった ・癒やしのために飼い始めたペットの治療費で生活破綻特集◆施設内「感染リスク」の高い危ない老人ホーム◆コロナ暴落→年金大減額が急浮上! 東京五輪開催に黄信号!◆マスク姿で「商談」「謝罪」はアリか? 有名企業「それぞれの線引き」◆野村克也さんへ─「南海の3悪人」からの弔辞江本孟紀、門田博光、江夏豊が明かす「恩師」への思い◆闇営業謹慎芸人・スリムクラブの告白「どん底の僕らを救ってくれた島田紳助さん・松本人志さんの一言」◆検査で「異常あり」でも受けなくていい手術&受けるべき手術◆史上最強の横綱を決めよう!◆美女薬剤師の特別授業「ED治療薬のこと、教えてあげる」◆妻に先立たれた男たち「私はこうして悲しみと向き合っている」◆安倍晋三首相が「7年間で吐いた嘘」すべて掲載するワイド◆中居正広「47歳・早期退職」◆千葉県議 “男女部屋飲み写真” ◆ヤクザと赤福 “代紋入りグッズ”◆兜町の風雲児 ◆女性プロ棋士 誕生前夜◆清純派女優 「深夜だから脱ぐ」グラビア◆22世紀に残したいドラえもんの言葉◆新人AV女優ハダカ白書2020◆70年代青春のヒロイン 全裸デビューの真実◆美食名店の一日 第2回 江戸蕎麦ほそ川◆EVとイチゴの“甘い”関係◆なをん。大島さんは自由律。◆密着 岸谷五朗◆密着 道尾秀介連載・コラム◆中川淳一郎「ネットのバカ 現実のバカ」【小説】◆平岡陽明「道をたずねる」【コラム】◆二題噺リレーエッセイ 作家たちのAtoZ◆須藤靖貴「万事塞翁が競馬」 ◆広瀬和生「落語の目利き」◆堀井六郎「昭和歌謡といつまでも」◆秋本鉄次「パツキン命」◆戌井昭人「なにか落ちてる」◆春日太一「役者は言葉でできている」◆大竹聡「酒でも呑むか」◆鎌田實「ジタバタしない」◆綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」◆大前研一「『ビジネス新大陸』の歩き方」◆高田文夫「笑刊ポスト」【ノンフィクション】◆井沢元彦「逆説の日本史」◆河崎秋子「羊飼い終了記念日」【コミック】◆やく・みつる「マナ板紳士録」◆とみさわ千夏「ラッキーな瞬間」【情報・娯楽】◆のむみち「週刊名画座かんぺ」◆恋愛カウンセラー・マキの貞操ファイル◆ポスト・ブック・レビュー◆医心伝身◆ポストパズル◆プレゼント◆法律相談◆ビートたけし「21世紀毒談」
2020.02.28 07:00
週刊ポスト
スリムクラブ内間、「家庭崩壊&住宅ローン危機」を明かす
スリムクラブ内間、「家庭崩壊&住宅ローン危機」を明かす
 闇営業問題で吉本興業から無期限謹慎処分を受けていた芸人11人の復帰が決まった。8月19日をもって謹慎処分が解かれ、東京・新宿の「ルミネtheよしもと」のステージに立つ。11人の芸人は謹慎期間中、ボランティアや関係者への謝罪に奔走していたという。それに先立つ8月16日の夜、謹慎中だったスリムクラブの2人の姿が東京・恵比寿の居酒屋にあった。芸能関係者が明かす。「この日、スリムクラブらは大阪の『なんばグランド花月』と『よしもと西梅田劇場』の付近で清掃ボランティアに励んでいました。その後、先輩芸人らに復帰の報告と謝罪をしています。夜に東京に戻ってからは、吉本の関係者らが開いた“決起集会”に参加したようです」 スリムクラブは真栄田賢(43)と内間政成(43)のコンビで、2010年の『M-1グランプリ』で準優勝し人気を集めた。しかし、今年6月になって、3年前に暴力団関係者の会合に出席しギャラを受け取っていたことが発覚。所属する吉本興業から謹慎処分を受けていた。「特に関係者の間で心配されていたのが内間さんの金銭問題です。M-1で人気が出て、2013年に都内に約6000万円の一戸建てを35年ローンで購入しました。その後、断熱材が薄かったり、配管を固定する金具がネジ止めされていなかったりと“欠陥住宅”だったと本人がテレビでぶっちゃけてしまっています。毎月20万円ほどのローンが残り30年近く。しかも“欠陥”を世間にアピールしたので売りにくい状況(笑い)。奥さんと子供もいますし、これで仕事がなかったらどうするのか、と心配されていました」(吉本関係者) 話を冒頭の居酒屋に戻そう。午後10時過ぎ、真栄田らより先に店を後にした内間は飲み足りないのかコンビニで缶ビールなどを買っていた。コンビニから出てきたところで本誌記者が声をかけた。──復帰が決まったとのことで、お話を聞かせていただきたいのですが。「良いんですけど、俺謹慎中なんで、あんまりしゃべれないですよ」──今、稼げていない状態ですが大丈夫ですか?「ヤバいっすよ~」──6000万円で購入したご自宅のローンはどうしていくんですか?「正直ヤバいんです。だってローンは残り30年(笑い)。はっきり分からないけど、おおよそで言うと5000万円前後残っています。ローンなので毎月いくらという形ですが、きつかったら会社(吉本)にお願いしよかなと。会社からお金借りようかなって」──売却は検討しないのですか?「欠陥住宅なんで売れない(笑い)。知ってるでしょ!」──ご家族との関係はどうでしょうか?「実は1か月ぐらい前に奥さんと子供が実家に帰っちゃって……今は連絡とれない。いや、取れるといえば取れるんだけど」──離婚危機ということですか?「離婚は……まぁ(奥さんは)思ってるかもしれないですけど。分かんないです。そういう話はしてないです。実家に帰っちゃったから。謹慎中、毎日俺が家にいたから、俺のこと気に食わなかったんだと思いますよ」──復帰が決まってから、奥さんと連絡は取りましたか?「あんま取れない。だから復帰はネットニュースでしか知らんと思う」──戻って来てほしいという連絡はしないのですか?「してない。できない。どうしましょ……」──小学生の娘さんとはどんな話をしました?「娘からは『かかわっちゃいけない人とかかわっちゃったんだよね?』、『今仕事できないんだよね?』って聞かれて……」──それに対しては何と話したのですか。「娘に、『ちゃんと先を考えて行動しないとダメだよ』って。『目先のことじゃなくて、もっと先のことを考えた方が良いよ』って言いました。そう教えるしかないかなと」──奥さんがいないことで、女性問題は大丈夫ですか?「愛人8人いるよー(笑い)! 冗談冗談(笑い)。まぁ、今後のことはまだ全く決まってないですし、会社でもはっきり決まってない状況ではあります。でも、頑張れる時に頑張りたい。大したこと言えなくてすみません。謹慎中なので。あ、謹慎解けたからと言って大したこと言えるか分からんけど(笑い)」 内間が退店してから約1時間後の午後11時、店を出た相方の真栄田にも話を聞こうとしたが、記者に丁寧に挨拶をするとすぐにタクシーに乗り込んだ。 新生スリムクラブは、舞台でどんな姿を見せてくれるのだろうか。
2019.08.17 16:00
NEWSポストセブン
長年のヤクザ取材の経験から語りつくした溝口氏
暴力団の宴会、半グレと違い芸人を呼んだら「写真を撮るな」
 反社グループへの芸人の闇営業問題が連日、メディアを賑わせている。ヤクザ取材を専門にしてきたノンフィクション作家の溝口敦氏とフリーライターの鈴木智彦氏が、なぜマスコミは事の本質に突っ込まないのか──新聞やテレビの暴力団報道の問題点を突いた。鈴木:吉本芸人の報道を見ていて、暴力団の宴会だったら普通はバレないのにな、と思いました。俺が知っているヤクザはよく宴会に芸人を呼ぶから何度も同席したことがあるけど、その時は「絶対に写真を撮るな」って何度も言われる。「お前が流すとは思ってないけどカメラに写真があったら何があるか分からないだろ」って、それぐらいナーバスですよ。むしろ相手が半グレの詐欺集団だったからバレたんじゃないか。溝口:報道を見ておかしいと思うのが、「芸人が反社会的勢力からお金をもらうのが問題だ」ってみんな言うけど、芸人のことばっかり言って、反社会的勢力の側に突っ込んだ記事はないんですよ。吉本興業の今回の処分を見ると、これまで芸人が関係を結んではならない相手は暴力団だけだったが、今回はそれを、特殊詐欺を行なう反社会的勢力にまで拡大した。これは新しい対応なんです。しかし、そのことが新聞やテレビでは触れられていない。鈴木:その後に発覚したスリムクラブ(内間政成・真栄田賢)の場合は従来型の暴力団の宴会写真ですよね。詐欺で逮捕された犯罪集団と、暴対法で一応は存在を認められている暴力団とは質的に違うだろうと俺は思うんだけど、そこには興味がないんでしょうね。溝口:半グレが詐欺で稼いだお金が暴力団の資金源になる、と解説されているけど、個人の上納金ならともかく、そんなことが組織的に行なわれているなんて聞いたことない。鈴木:半グレの奴らはヤクザが嫌いですもんね(笑い)。警察はなんでもかんでも「暴力団の資金源」にしたがるから、その通りに書いているだけ。大本営発表ってやつですよ。溝口:今のテレビや新聞の記者は、基本的に警察の記者クラブ経由でしか暴力団に関する情報を得ないから。鈴木:会社として接触を禁じられてますもんね。取材するときも事前に上司に言わないといけないらしい。実際、新聞記者をヤクザのところに連れて行ったけど、出された缶コーヒー一つ飲まない。「利益供与になるから」って。でもそうなったら取材相手としても付き合えないでしょう。溝口:警察もそれを望んでるんです。警察の言ったとおりにだけ書いてくれたほうが都合いいんだから。●みぞぐち・あつし/1942年東京浅草生まれ。早稲田大学政経学部卒。『食肉の帝王』で講談社ノンフィクション賞を受賞。『暴力団』など著書多数。近著は『さらば!サラリーマン』。●すずき・ともひこ/1966年北海道札幌生まれ。『実話時代』の編集を経てフリーへ。『潜入ルポ ヤクザの修羅場』など著書多数。近著に『サカナとヤクザ』、『昭和のヤバいヤクザ』。※週刊ポスト2019年7月19・26日号
2019.07.08 16:00
週刊ポスト
闇営業の真相を暴力団関係者が語る
暴力団関係者が闇営業問題に一言「今頃ちょっとかわいそう」
 警察や軍関係の内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た警官の日常や刑事の捜査活動などにおける驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、芸人の闇営業問題について暴力団関係者が口を開く。 * * *「こんな何年前の写真が出てくるようだと、吉本に芸人はいなくなりますね」 暴力団幹部はそう言って、苦笑いした。実際、いつ、どこから写真や映像が出てくるのか、戦々恐々としている芸人やタレントは少なくないのではないだろうか。 特殊詐欺グループの忘年会や暴力団幹部の誕生パーティに吉本興業所属らの芸人たちが“闇営業”で出席していた問題について、暴力団関係者らに話を聞いてみた。「フライデーに出ていた稲川の幹部というのは、この人ですよ」 暴力団幹部はスマホでささっと調べ、稲川会系のある組の幹部の名前を教えてくれた。スリムクラブの2人が出席していたという誕生パーティの主人公だ。「反社会的勢力の会合とは知らなかった」と本人たちは言っているが?「それはない。初めから稲川会ってわかって行ってますよ」 指定暴力団なら、何かあれば暴対法や暴排条例ですぐに警察に捕まってしまう。その辺の法律に関することは暴力団ならよく知っているため、席に着く前には知らせているはずと他からも聞いていた。 では、芸人やタレントをどうやって呼ぶのか?「個人的に知り合いがいれば、そのツテで紹介してもらったりしますよ。自分の場合は、昔からの付き合いが現在も続いているので、個人的に食事をしたり飲みいったりという感じですね。さすがに誕生会などには呼びませんがね」「芸人やタレントの場合、人気に関わらず金銭が発生するので、この程度の依頼でも彼らにとっては闇営業になる。直の仕事として、やったことがある者は多いと思いますよ」「今の時代になって、“反社”と呼ばれるようになってますが、十数年前までは、芸人たちや芸能人らは新年会、忘年会、誕生会、ゴルフコンペ…何でも参加していたわけですから。今頃になってこんな形で出てくると、彼らもちょっとかわいそうですね」「今の時代」と暴力団幹部が言うように、暴力団、いわゆるヤクザと芸能界のつながりは長い。「歌手は興行で呼ばれれば行くし、チケットは地元のヤクザが売ってくれるしで、切っても切れない間だった」 暴力団排除条例ができる前の話だが、ある右翼団体関係者の誕生パーティに招かれ、出席したことがある。誕生パーティは毎年、老舗ホテルの大広間で大がかりに行われ、演歌歌手や芸人、落語家、タレントに俳優、相撲取りやプロボクサーらも出席し、その場を華やかに盛り上げていた。 以前は芸人やタレントが個人で営業するような闇営業ではなく、これも事務所やプロダクションの営業による仕事だったのだ。「スポーツ界も芸能界と同じで、興行があれば当然、ヤクザとはつながっていたわけで。以前は興行自体が、その地域の各組織の利権でしたから。相撲のタニマチなんかにも暴力団の組長がけっこういましたよ。巡業の時は、部屋を提供したりしてね。昔はお茶屋の利権まで売り買いしていましたから。今は相撲部屋に迷惑をかけるといけないから、そういう人ほど表には出てきませんがね」 相撲部屋も暴力団も、親方や組長が代替わりすれば、おのずと関係が変わっていくとは思うが、話を聞いている限り、関係が完全に断ち切れているという印象は薄い。「ボクシングジムの経営にヤクザが関わっていたところもある。それにボクシングは興行があるからね。あれこれ仕切らないといけないし、チケットも売らないといけない。海外からアーティストを呼んでくる時だって、昔はネット販売なんてないですからね。会場の外にいるダフ屋もそうですが、チケットを売るためにヤクザが必要だったんです。野球は野球賭博があったしね。そこでつながる野球選手や相撲取りもいましたよ」 世間的にいえば、ヤクザの方から芸能人やスポーツ選手に近づいていくというイメージしかないが、実際は俳優やタレントからヤクザに近づくというパターンも存在するという。「ヤクザ映画の俳優なんかは、実話が映画化されるとなれば、その近親者や関係者に取材することもあるわけですから、知り合いになるわけですよ。格闘家なんかが引退すると、俳優として映画に出演したりすることもありますしね。何度かチケット買わされましたよ」 その後の付き合い方は、おのおのだという。 では半グレはどうなのか? 半グレ集団と何度か対立したことのある若手実業家はこう話す。「半グレとヤクザでは話が違いますよ。やつらは芸人やタレント、モデルを自分の見栄やステータスとして呼びたいんでね。ヤクザのように面倒をみていたとか、仕事でつながりがあったとかではない。人を集めるため、金を集めるため、見栄のためにやっている」「半グレは名前のない芸人には用はないんです。そんなもん呼んだところで、ステータスになんてなりません。かわいいタレントやきれいなモデルなら話は別ですが」「投資会社のパーティだとか、IT企業の忘年会とか言われて仕事を受けるヤツもいるんでしょうが、行って、自分の目でそいつらを見たら絶対、怪しいってわかりますって」 暴力団幹部も若手実業家も、最後に同じことを言った。「今の時代、そんな所に呼ばれて行くヤツがバカなんです」
2019.07.06 07:00
NEWSポストセブン
ドキュメンタルseason6 ゆりやんの憑依芸は面白かったのか
ドキュメンタルseason6 ゆりやんの憑依芸は面白かったのか
 2016年11月から続く人気番組『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』(Amazonプライム・ビデオ)は、2018年11月に配信開始されたシーズン6で初めて女性芸人を複数、4人同時に参加させた。ゆりやんレトリィバァを中心に“憑依芸”が猛威を振るったことで、ドキュメンタルはどのような変質を遂げたのか。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、女性芸人と憑依芸との関係について考えた。 * * * 数年前までネットテレビの扱いは低かった。民放と比べてクオリティが落ちる番組が配信されている、なんてイメージもあったハズ。また、そういった部分も実際にあったと思う。しかし、そんな印象は2016年にAmazonプライム・ビデオから配信された『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』によってガラリと変わる。言わずもがなだが、オーガナイザーはダウンタウンの松本人志。 松本が参戦したことも大きかったが、番組内容も斬新だった。コンセプトは“密室笑わせ合いサバイバル”。自腹の参加費100万円を握りしめた10人の芸人がエントリー。1つの部屋に集められ、6時間の笑わせ合いに興じる。3回笑えば脱落、最後まで生き残った芸人が優勝賞金1100万円を獲得。 簡単に言えば、プロによる“にらめっこ”。枠のない状態で誰が1番面白いかを見られる『ドキュメンタル』は、視聴者が求めていたものだった。そして、画面に映るのはコンプライアンスから解き放たれた生き生きとした芸人の姿よ。 芸人のやりたいこと、視聴者の見たいことが一致した『ドキュメンタル』は大成功。順調に回を重ね、最新作シーズン6が11月に配信された。 このシーズン6、今までの作品とは違ったものに仕上がっていた。まず、小さなことではあるが配信のスタイルが変化。前シーズンまでは毎週1話を配信していたが、今回から2話に。シーズン6は全4話構成、よって2週間で配信終了。スピーディーに見られる反面、『ドキュメンタル』という祭の期間が短くなった。 また、番組時間も短くなっていた。各シーズンの総時間がコチラ。 シーズン1:182分、シーズン2:215分、シーズン3:240分、シーズン4:237分、シーズン5:231分、シーズン6:200分。 シーズン1に次ぐ2番目の短さである。ただ、シーズン1の場合は『ドキュメンタル』という競技が確立していなかったことも考慮しなければならない。そのことを踏まえると際立つシーズン6の短さ。 配信番組は、時間的な制限がないことがメリット。面白いシーンがあれば全てを収録できる。だからといって、シーズン6の撮れ高が少なかったと読むのは答えを急ぎすぎる。テンポの良い編集を心がけた結果、こうなった可能性もある。 そして、シーズン6は女性芸人にスポットライトが当てられた回でもあった。これまでもシーズン2の大島美幸(森三中)、シーズン4の黒沢かずこ(森三中)と『ドキュメンタル』に参加した女性芸人はいる。しかし、男性芸人9人に対しての1人であった。 シーズン6に出演した芸人は下記のメンツ。 村上ショージ、ジミー大西、藤本敏史(FUJIWARA)、陣内智則、黒沢かずこ(森三中)、大悟(千鳥)、友近、近藤春菜(ハリセンボン)、真栄田賢(スリムクラブ)、ゆりやんレトリィバァ。4/10が女性芸人という異例の比率となった。100%吉本クリエティブエージェンシー所属の芸人という座組みでもある。これはシーズン1以来だ。 吉本は全国に10を超える劇場を持つ。その楽屋は芸人独自のコミュニティスペースとなっており、先輩と後輩の社交場となっている。そこで先輩は後輩を従え、また後輩は先輩から芸を盗む。そもそも『ドキュメンタル』自体がその楽屋でのやりとりの近いと思われるが、今回はその傾向が顕著に出た。 芸人が素人を笑わせるのが普通の番組ならば、『ドキュメンタル』はプロがプロを笑わせる番組。よって質が異なることは必然で、そこには視聴者が理解できない“笑い”も存在する。そこで「自分には分からない!」と無下にすれば『ドキュメンタル』は、途端につまらないコンテンツとなるだろう。「自分は笑えなかったが、芸人はなぜ笑ったのか」と妄想しつつ、業界の楽しみの“おこぼれ”をいただく感じで鑑賞するのが吉。 しかし、シーズン6はその”おこぼれ”が極端に少なかった。そう、師匠・友近と弟子・ゆりやんが楽屋で磨いてきた憑依芸が火を噴いた。 それぞれがキャラになりきることもあれば、部屋にあるキッチンをスナックと想定し、友近がママ、ゆりやんがバイトに扮したシーンも。2人のタッグによって、芸人が続々と笑う。もちろん、笑いの文脈は理解できるのだが、そのターンが長すぎる。配信時間200分中、計10回を超える2人による“憑依芸”が披露された。 目の前にいる芸人を笑わせることが『ドキュメンタル』である。しかし、カメラの向こう側には視聴者がいることも少しは考えて欲しい。特に、自身の持ちネタをぶっこみ続けるゆりやんには辟易としてしまった。 松本も参加芸人の紹介パートでゆりやんのことを「自分のことしか考えていない」と評していた。それがネタならば独自性もあって良い結果が出るだろう。だが、『ドキュメンタル』はネタ番組ではない。バナーにも書かれているが“異種総合笑わせ合いバトル”、異なった芸風を持つ芸人がぶつかり合うリングだ。『ドキュメンタル』に最多4度の出演しているフジモン(FUJIWARA)は、勝負以上にそれを意識していると思う。松本が「フジモンは他の芸人の良いところを引き出す」と語るように、振ったり、つっこんだりと指揮者のような役割を果たす。 逆にゆりやんは、日野皓正に殴られた中学生ドラマーといったところ。ずっとソロプレイ、もしくは友近とのデュエット。また、その多くが過去に見たことがある笑い。『ドキュメンタル』の魅力は、何気ない会話から“笑い”という波が発生してく様子が見られるところ。紋切り型じゃなくて即興性がポイントなのに……。シーズン6はグイグイと持ちネタで押していくゆりやんに時間を取られ、やりとりそのものが少なかった。 収録後のインタビューで「私は友近さんに育ててもらっている。友近さんとよく遊んでもらっていることを今回はやった」とゆりやん。勝つためには自分の攻撃ターンを長くしなければならない。ま、ゆりやんが勝負に徹したといえばそれまでだが……。 ここまで書いてきたのは個人の意見だが、客観的に数値を見てもシーズン6は笑いが少なかった。6時間のゲームを通して、1回も笑わなかった芸人が3人も。ゆりやんを筆頭に黒沢(森三中)、近藤(ハリセンボン)。全員が女性芸人だから興味深い。 耐えてるとはいえ、目の前で披露される芸で笑っていない。それをモニタ越しの視聴者が笑うことは困難だ。 今作を見て、『ドキュメンタル』という舞台で男性芸人と女性芸人がガチでやり合うには、まだ機が熟していないのかもしれないという疑問がわき上がった。ゆりやんが次々と繰り出す憑依芸に対して、厳しくツッコんだら負けなのか? という男性芸人の弱気も見えた。 もし、ゆりやんが男性芸人であれば、持ち時間の多さに誰かが「お前、時間長いねん!」と頭を叩いただろう。相手のターンを終わらせるために、時には力技も必要だ。しかし、男性芸人は女性芸人にそれをしなかった。吉本新喜劇では、たとえマドンナ役であっても女性に激しくツッコむことがあるのに。シーズン6で場をリードし続けたゆりやんは、結果として、新喜劇のマドンナよりも丁重に扱われ続けた。 贅沢な望みかもしれないが、ゆりやんが憑依芸を友近以外ともグルーブさせてくれたら良かったのに。そもそも、ゆりやんに対応できなかった男性芸人も悪いのか。こーなると、ゆりやんが良くなかったと書いてきたのが間違っている気もする。 逃げの結論で申し訳ないが、要するにシーズン6はいまいちスイングしていなかったのだ。
2018.12.18 16:00
NEWSポストセブン
トレンディエンジェルに続け! 2017年ブレイク期待のハゲ芸人
トレンディエンジェルに続け! 2017年ブレイク期待のハゲ芸人
2016年にもっともブレイクした芸人といえば、ハゲネタで大人気となったトレンディエンジェルだろう。そんな彼らと続けとばかりに、2017年もハゲ芸人たちが、ブレイクを狙っているという。ネクストブレイクハゲ芸人の筆頭と言われているのが、「キングオブコント2016」ファイナリストの「ななまがり」だ。お笑い業界に詳しい週刊誌記者A氏はこう話す。「『ななまがり』はコントを中心に活動している実力派コンビです。ボケ担当の森下直人は30歳ですが、なかなかの薄毛。トレンディエンジェルのようにハゲネタばかりというわけではないですが、クオリティーの高いコントに定評があります。芸人の間での評価も高く、所属事務所である吉本興業もかなり期待しているようで、2017年の“イチオシ”とのことですよ」決してルックスが良いタイプではなく、女性人気はイマイチらしいが…。「トレンディエンジェルも若手の劇場に出ている時は、女性ファンからの支持率は低かった。でもテレビの世界で大ブレイクしている。そういう意味では、『ななまがり』にも大きなチャンスがあると思います。むしろ、薄毛だということで男性からの支持が得られる可能性も高いのではないでしょうか」(A氏)◆「R-1」や「M-1」は薄毛芸人の宝庫そして、ネクストブレイク候補薄毛芸人の宝庫と言われているのが、ピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり」だという。2015年に優勝したハリウッドザコシショウも薄毛であり、さらに2013年にはまさにハゲネタを披露した三浦マイルドが優勝している。「ここ数年のR-1ファイナリストでいうと、2016年の『ルシファー吉岡』、2015年の『ロビンフットおぐ』が薄毛です。地味な印象ですが、ネタは面白いので、ちょっとしたきっかけがあればブレイクするかもしれないですよ」(A氏)薄毛ではないが、「M-1グランプリ2016」では坊主頭のハゲ芸人が何人も決勝戦に進んでいる。「アキナ」の山名、「ハライチ」の澤部、「カミナリ」の竹内、「スリムクラブ」の内間がそれぞれ坊主頭だったが、なかでもブレイクが期待されているのが「カミナリ」だという。「ツッコミの石田がボケの竹内の坊主頭を思い切りひっぱたくネタが好評です。その叩かれっぷりも見事で、坊主頭を最大限に活かしていますね。M-1以降テレビ出演も増えているので、2017年は仕事を大きく増やすと思います」(A氏)芸人にとっては容姿もネタのひとつ。そんな彼らにとっては、育毛剤も無用の長物なのかもしれない。薄毛だけでなく、坊主頭も含めた、新しい“ハゲ芸人”の活躍に期待だ。
2016.12.22 16:08
ポストセブンラボ 育毛研究室
SMAP聖地の店主 署名用紙を置いたのは「当たり前のこと」
SMAP聖地の店主 署名用紙を置いたのは「当たり前のこと」
「彼らがメッセージを送ってくれているように思う。バングルだってそうでしょ? 私たちが頑張るほど何か返してくれるような気がする」──本誌・女性セブン11月10日号でお伝えした木村拓哉(43才)と香取慎吾(39才)の“おそろいバングル”の話題は、今もファンの間で盛り上がっている。それは、SMAPの“聖地”といわれる場所でも…。 10月下旬、大阪・福島区にあるお好み焼き店『かく庄』で、木村と香取のおそろいバングルの話をしていたのはSMAPファンの3人だ。 ファン歴20年、“コテコテの大阪人”であるリナさん(32才)、香川生まれ大阪在住のメグさん(34才)、神戸在住のユキさん(41才)は、SMAPのライブなどで知り合い、友人に。この店にはすでに10回ほど通っていて、店主とも顔なじみだ。 この日のテーマはもう1つあった。SMAP存続を願うファンが10月末まで行っていた署名活動『5☆SMILE PROJECT』。署名用紙はツイッターなどを通じてインターネット上でダウンロードできるので、日本全国どこにいてもこの活動に参加できるのだが、インターネットに詳しくない人にとっては困難。しかし、『かく庄』にはその用紙が置いてある。それはここがファンにとって“聖地”のひとつだから──。 2013年、SMAPは結成25周年を迎えた。メンバーとともに歩んできた『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)では、それを記念して、『はじめてのSMAP5人旅』をプレゼント。2013年3月7日決行となった。 事前に、メンバーへは嘘のスケジュールが伝えてあり、その日の予定は空いている。木村、草なぎ剛(42才)、稲垣吾郎(42才)、香取は、それぞれ大阪行きの航空チケットを手渡された。中居正広(44才)だけは仕事で福岡に滞在していたので、そこから大阪へ向かうことに。「プレゼントって言ってくれてるけど、ちょっとした迷惑だから(笑い)」(木村)「今までやったことないんで、こういうの」(草なぎ) 思い思いに戸惑いを吐露しながら、5人は大阪・伊丹空港近くのレンタカー店で合流した。旅のルールは3つ。「5人旅ですから必ず5人で行動すること」「行き先は自由、宿泊先も自由」「ただし、ちょこっとだけ撮影するので、それぞれの場所で撮影許可をとる」というものだった。◆残さず食べて丁寧に挨拶「大阪に来たんだから、なんか食べようよ。お好み焼き」 草なぎのそんな提案のもと向かったのが、冒頭の店『かく庄』。店主が当時のことを振り返る。「その日は、まさかSMAPが来るなんて思ってもみなかったから、そりゃもうびっくり。来ると知ってたら、ほかの客を帰してたよ。でも会ってみて、彼らの印象が変わったね。それまでは普通のアイドルかなと思ってたけど、残さず食べるし、丁寧に挨拶するし。“ごっそさん”って、スーッと出ていく感じじゃなくて、ちゃーんと頭下げていってた。そういう人たちだから、みんなが彼らを応援したくなるのは当然だと思うよ」 署名用紙が置かれるようになったことで、ファンはもちろん、いろいろな人たちの署名が集まっているという。「最近もね、芸人のスリムクラブ真栄田ださん(賢・40才)が一度来て、この活動のことを知って、その後、わざわざ家族を連れて署名してくれたわよ」(同店・女将) この日も店には冒頭の3人をはじめファンが数組おり、彼らが5人旅で食べたメニュー“SMAPセット”に舌鼓を打っていた。 店主に改めてSMAPの解散について聞いてみるも、「そのことについては何もコメントしないって決めてるんだ」と言葉少な…。しかし思うところがあったのか、ポツリ、ポツリと続ける。「署名用紙を置いたのは、なんていうか、人間として当たり前のことをしたっていうか。彼らのことを好きだし、彼らを応援したい人が置きたいって言うんだったらね。人間と人間として、当たり前のことをしてるまでですよ」※女性セブン2016年11月17日号
2016.11.03 07:00
女性セブン
スギちゃん、2700他 大会準優勝芸人は優勝芸人より売れる説
スギちゃん、2700他 大会準優勝芸人は優勝芸人より売れる説
 テレビ局やお笑い関係者の間で最近、あるブレークの法則がささやかれている。それはお笑いコンテストで優勝した芸人よりも準優勝の芸人がブレークする、というもの。「ここ最近では必ずそうなっています。放送作家やテレビ局のバラエティー番組のプロデューサーやディレクターも、優勝した芸人よりも、むしろ準優勝など優勝できなかった芸人をかなり注目して見ていますよ」(ある放送作家) 最近の準優勝芸人を見てみると、それは明らか。3月のR-1ぐらんぷりのスギちゃん(優勝はCOWCOW多田)は「ワイルドだろぉ?」のネタで、テレビ番組やCM、イベントに引っ張りだこ。昨年末のTHE MANZAI2011のHiHi(優勝はパンクブーブー)は「パスタ、巻いてる?」がちょっとした流行語に。 昨年末のキングオブコント2011の2700(優勝はロバート)は独特のリズムネタで人気を呼んでいる。一昨年のM-1グランプリ2010のスリムクラブ(優勝は笑い飯)は昨年、今年とバラエティー番組を中心に活躍を続けている。 いずれのケースでも、優勝芸人が優勝以前と比べて目立って活躍の場が増えていないのに対し、準優勝芸人はこれを機にブレークし、幅広い分野で活躍しているのだ。実際、笑い飯はM-1優勝後について「例年通り」と仕事はとくに増えなかったと語っている。最近の優勝芸人の多くがすでに実績のある芸人である、という背景もあるが、それにしても優勝したことによって再注目を集めてもいいものだが…。「スギちゃん、2700など準優勝の芸人は、優勝できなかったとはいえ、視聴者からの支持が高く、“優勝してもおかしくなかった”という声も上がるほど笑いをとってましたからね。優勝した芸人は“王道ネタ”をする傾向が強くて、それが審査員から支持を集めた要因でもあるわけですが、準優勝の芸人のネタは意外性があってちょっと変わった芸風の芸人が多いんです。そのへんがいまウケている理由ではないでしょうか」(テレビ局関係者)  優勝できなくても、準優勝のほうがおいしかったりして!?
2012.04.14 07:00
NEWSポストセブン

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SNSでの発信力も大きい新庄ビッグボス(時事通信フォト)
新庄ビッグボスのインスタ投稿が波紋 「ファンとそれ以外の分断を煽る」の指摘も
NEWSポストセブン
クルマ、ギター、アート、スケートボードにもこだわる
長瀬智也、英国のバイク誌に登場 悠々自適な暮らしに「所ジョージ化している」の声
女性セブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
京都の街を歩く舞妓のイメージ(写真/イメージマート)
元舞妓の〈16歳飲酒〉〈お風呂入り〉告発に、花街関係者も衝撃「未成年飲酒には厳しく対応しているはず」
NEWSポストセブン
不祥事を理由に落選したはずなのに、比例で復活されては…(左は塚田一郎氏、右は中川郁子氏/写真=共同通信社)
「不倫路チュー」「USBは穴に…」失言・不祥事で落選しても比例復活するゾンビ議員たち
週刊ポスト
注目を集めるNHK吉岡真央アナ
「ポスト和久田麻由子アナ」候補のNHK吉岡真央アナ 替え歌ダンスで“キャラの強さ”際立つ
週刊ポスト
前田敦子と篠田麻里子の女子会姿をキャッチ
前田敦子、篠田麻里子と六本木で4時間半女子会 元夫・勝地涼との関係は良好に
女性セブン
謎めいたバッグを持つ広末涼子
広末涼子、“破壊力強すぎ”コーデは健在「背中に蜘蛛」私服に続き目撃された「謎バッグ」
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン