◆『エンタ縛り』に苦しんだ
しかし、天才と天才は、そう簡単に融合しなかった。結成年の2005年にスリムクラブは初めてM-1に出場した。ただ、その頃、2人が力を入れていたのはコントだった。真栄田が話す。
「漫才はしてなかったというより、タイプ的にできると思ってなかった。コントの方が道具を使えるので、漫才より簡単だと思っていたんです。白菜にイヤフォンのプラグを刺して、“オーガニックなiPad”みたいなことをやったり。
『ザ・タカシ』っていうキャラクターでコントをしてたこともあります。セルシオの、運転席と助手席の間のぱかっと開くところ(コンソールボックス)があるじゃないですか。あれのカバーをヅラがわりに頭に乗っけて、サングラスして、半ズボン・タンクトップで出てたんです。それがけっこうウケてたんです」
M-1の舞台も、その出で立ちでステージに立った。結果は1回戦敗退だった。2008年から「キングオブコント」という、コント日本一を争う大会が始まった。以降、スリムクラブはそちらの賞レースに比重を置いていて、最初の数年、M-1はまったくといっていいほど力を入れていなかった。
スリムクラブに最初の波がやってきたのは2007年秋だった。当時、出演すれば瞬く間にスターになれると言われた伝説のネタ番組『エンタの神様』(日本テレビ系)から出演依頼が舞い込んだのだ。ただ、やや変則なオファーだった。真栄田が話す。
「担当者に、2人のネタでは通用しない。でも、おれの見た目と声は使えるので、おれ1人でいいなら、ということだったんです」