現在は講演で全国を回り、自身の体験を伝えている(撮影/浅野剛)
「自分にもお母さんがいた。その事実が純粋にうれしかった。でも、一緒に暮らしてみたら、母は毎晩酔っぱらって帰ってくるような人で。テーブルにお金だけ置いて、2~3日帰ってこない。いつの間にか、母のことは嫌いになっていた。“お父さんよ”と紹介された男性がいるのですが、その人もたまに家に来るかどうか。毎日、毎日、おれはひとりぼっちでした」
父と紹介されたこの男性は、任侠の世界で生き、高知では有名な親分だった。そして、母はその愛人。うちは普通じゃない──うすうす感づいてはいても、“真実”を母に確認したことはないという。
「母とデパートに行くときですら、スーツを着た若い衆たちが、何人も車に乗ってついてくる。でも、母には“なんで?”って聞けなかった。母のことが嫌いな一方で、“もう捨てられたくない”という気持ちもあったんです」
複雑な心境の中で、母や家族に対する嫌悪感が増していくのがわかった。家庭から逃げ出したい。その一心で、中学校は、全寮制の中高一貫校に進学した。
◆大嫌いな母と初めて笑い転げたのに…
野球少年だった高知は、高校で甲子園常連校の野球部に入部する。だが、母は一度も試合を見に来てはくれなかった。高校3年生のある日のこと、母が突然学校に現れた。
「料理なんて作ったこともないはずの母が、ほかの保護者に交じって部員への差し入れを作っていたんです。いつもは着飾っているのに、すっぴんにジャージー姿。驚いたと同時に、うれしかった。後日開かれた高校3年間の感謝を保護者に伝える会で、おれは余興として『無縁坂』という歌をみんなの前で歌ったんです。母はすごく気に入ってくれて。帰省したときに“あの曲、もう一度歌ってよ”って言うんです。おれの歌声を録音しようとカセットデッキのボタンを押すんですが、うまく歌えず何度もやり直して。2人で笑い転げた。何度も何度も、笑い転げた…初めて母と一緒に笑った瞬間でした。
その翌日、一緒に買い物に出かけたら腕を組んできたんです。“気持ち悪い”って言っても、“ええやん”って離さない。“背、伸びて男になったね”って顔をのぞき込んできたり。“アホやろ”って反発しながらも、心の底では、やっぱりうれしかった」