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2020.05.01 07:00  週刊ポスト

マラソン瀬古利彦氏がモスクワ五輪不参加で得た教訓

ボイコットで涙を呑んだ(写真/共同通信社)

 どうしようもない事情とはいえ、東京五輪の一年延期は、選手たちにとってあまりに突然のことだった。だが、今から40年前、1980年のモスクワ五輪の代表選手は出場の機会そのものを突然、奪われた。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、幻のモスクワ五輪代表で、金メダルも有望視されていた瀬古利彦氏に、40年前の体験と、2020東京五輪の一年延期について聞いた。以下、柳川氏がレポートする。

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 今より40年前の1980年、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するアメリカに同調する形で、日本はモスクワ五輪への参加をボイコットした。

 さらに遡れば、80年前の1940年に予定されていた東京五輪も日中戦争の勃発などで日本は開催を返上している。目標にしていた五輪がなくなるという日本選手団にとっての悲劇が40年周期で起きていることに、因縁を感じずにはいられない。

 幻となったモスクワ五輪を、男子マラソンの代表だった瀬古利彦は「記憶から消すようにしていました」と回想した。

「良い思い出ではありませんから。ボイコットの噂が出て、正式に決まるまでの約4か月は、練習に身が入らなかったことを覚えています。ただ、出場できないことになって、悔しさみたいなものはなかった。僕はね、悔しくて泣くことが嫌いだし、涙を人に見せたくないタイプの人間なんです」

 瀬古の言葉にふと思い起こされるのは、ふたりの男の涙だ。正式決定の約1か月前となる1980年4月21日、競技団体の垣根を超えて選手・コーチが岸記念体育会館に集まり、いよいよボイコットを決断しようとしていた政府およびJOC(日本オリンピック委員会)に対して猛抗議した。

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