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2020.05.26 16:00  週刊ポスト

藤田まこと「当たり前田のクラッカー」はアドリブだった

あの流行語はアドリブだった(時事通信フォト)

 1950年代後半、関西局制作のバラエティ番組の数々が全国のお茶の間を沸かせていた。最高視聴率62.3%を記録した『番頭はんと丁稚どん』(1959~1961年、毎日放送)の大ヒットを受けて朝日放送で始まった『てなもんや三度笠』(1962~1968年)は、最高視聴率64.8%を記録し“お化け番組”と呼ばれた。大阪府在住の自営業男性(72)はこう振り返る。

「当時は小学生でしたが、『てなもんや』はよく覚えています。あんかけの時次郎(藤田まこと)と小坊主の珍念(白木みのる)が、大阪から全国への旅路でドタバタに巻き込まれる設定で、2人の冴えない感じが面白かった。

 藤田さんが“俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー”と見得を切るが、道中でバカをやって“馬面”呼ばわりされる(笑い)。白木さんがボーイソプラノの甲高い声でツッコむ小生意気な役柄も人気でした。財津一郎さんの“非っ常にキビシーッ”“許してチョーダイッ”のギャグを学校で真似していた」

 同番組のプロデューサーを務めた澤田隆治氏(87)が語る。

「財津さんのギャグは、何度も何度も誇張して繰り返すことで、視聴者に覚えてもらおうと意識していました。藤田さんの“当たり前田のクラッカー”も、台本になかったアドリブ。スタッフが考えたダジャレを舞台で試してウケたから採用された。当時の大阪のテレビ局は新人を積極的に起用したこともあり、新鮮なギャグが飛び交う活気ある番組になっていた」

※週刊ポスト2020年6月5日号

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