宝くじの特賞が100万円の時代に板東氏の契約金は2000万円。貧しい時代に親を助けるためプロ入りを決意したが、本人は他にやりたいことがあったと言う。
「満州からの引き揚げ船のなかで周囲の大人から掛け算や漢字を教わり、子供の頃から勉強が好きでした。僕は職業として野球をやるなんて夢にも思わず、本当は奨学金で大学を出て教員になるつもりで、高校時代も練習後に最低限の勉強はやっていた。だから高校で野球をやっていなければ、大学まで進んで、小学校の先生になっていたはずです」
【板東英二:1958年夏、徳島商(徳島)で準優勝。1大会83奪三振の歴代最多記録を持つ】
※週刊ポスト2020年6月12・19日号