板東英二一覧

【板東英二】に関するニュースを集めたページです。

中日の元祖・守護神は板東英二(時事通信フォト)
牛島和彦、郭源治、宣銅烈、岩瀬仁紀… 中日リリーフ投手の系譜を紐解く
 昨年、セ・リーグ3位になり8年ぶりのAクラス入を果たした中日ドラゴンズ。10年ぶりの優勝を狙う今年は、先発には沢村賞の大野雄大、中継ぎには昨年の最優秀中継ぎ投手である祖父江大輔、福敬登、抑えには昨年リーグ2位の21セーブを挙げたマルティネスが座り、投手陣各ポジションの柱は2連覇中の巨人に決して劣っていない。 中日の球団史を紐解くと、リリーフ陣の充実が目立つ。セーブという記録が新設された1974年、星野仙一が初代のセーブ王に。チームは巨人のV10を阻止し、20年ぶりの優勝を果たした。翌年からは鈴木孝政が抑えを務め、セーブ王を獲得。『最優秀救援投手』に名称の変わった1976年、1977年も鈴木が受賞。4年連続で中日の抑え投手が賞に輝いた。その後も牛島和彦、郭源治、宣銅烈、岩瀬仁紀などリーグを代表するクローザーを生んでいる。プロ野球担当記者が話す。「中日のリリーフ投手の起源を辿ると、近藤貞雄という指導者の存在が大きい。1リーグ時代から巨人や中日で主に投手として活躍し、1954年に引退して翌年から中日の投手コーチになった近藤は1960年代に『投手分業制』を提唱した。当時は先発投手が翌日リリーフとして連投することも珍しくない時代で、中日も同じような起用法でした。1961年、新人の権藤博は69試合、32完投、35勝、翌年は61試合、23完投、30勝とフル回転。結果、無理が祟ったのか後に肩を壊し、権藤の投手生命は短くなってしまった。投手起用の権限は監督にあったようですが、近藤はその反省を生かし、日本でも初期にリリーフ投手を確立させました」(以下同) 日本初の抑えは“8時半の男”こと宮田征典(巨人)と伝えられている。セーブという記録のない当時、救援登板して試合終了まで投げた場合に記される『交代完了』がクローザーの指標になる。川上哲治監督3年目の1963年、宮田は47試合でリーグ最多の25完了。V9の始まった翌々年には69試合で46完了を挙げ、20勝のうち19勝をリリーフで稼いだ。「この時代、中日では板東英二が守護神を務めました。完了数は1964年から20、29、40、35と4年連続で20以上を記録し、1967年からは2年連続でリーグ最多です。板東は高校時代に甲子園で投げ過ぎたこともあり、入団した頃から右ひじを痛めていた。近藤コーチは『先発完投は無理だが、リリーフなら使える』と考え、目立ちたがり屋の性格も見抜いた上で、抑えに抜擢しました。中日の元祖・守護神は板東と言っていいでしょう」 当時は先発のリリーフ兼任も多かったが、板東はリーグ最多完了をマークした2年とも先発は1試合ずつだった。近藤はロッテの投手コーチを経て、1972年から再び中日に舞い戻る。そして、星野や鈴木の適性を見定めて、抑えとして起用した。「近藤は度胸の良さやスピードボール、決め球を持っていることをクローザーの条件と考えていた。これは、今も変わらない要素です。また、当時から投手の球数を数えて、交代の指標にしていた。『打たれる前に早めに代える』がモットーで、マウンドで先発投手から強引にボールを奪うため、“もぎりの近藤”というニックネームまで付いたほどです。先発完投が主流の時代に、投手分業制を唱え、投げ過ぎにも警鐘を鳴らしていました。1966年のオフにデトロイト・タイガースの教育リーグに参加して学んだことも大きかったと語っています」 中日は1980年、12年ぶりに最下位に転落。オフに監督として招聘された近藤は高卒2年目の牛島をリリーフに回し、1982年には抑えを任せた。この配置転換が功を奏した同年、中日は巨人を0.5ゲーム差で振り切り、8年ぶりにセ・リーグを制した。 現役時代に近藤に抑えを任された初代セーブ王の星野仙一は1986年オフ、監督になると2年連続3冠王の落合博満をロッテからトレードで獲得。交換要員の1人だった抑えの牛島の穴は、先発で4年連続2桁勝利を挙げていた郭源治が埋めた。「雄叫びを上げる気合いの入った投球を見せる郭は翌年、7勝37セーブの44セーブポイントを挙げ、当時のシーズン記録を更新。優勝の立役者となり、MVPに輝きました。星野監督は自分の現役時代の経験から、郭が抑えに向くタイプと見抜いていたのでしょう。近藤貞雄コーチから始まった伝統を受け継いでいたのです。郭が故障した1990年には、現監督の与田剛が抑えを務め、ルーキーで最優秀救援投手を獲得しています」 星野は第2次政権の1999年には抑えの宣銅烈、中継ぎの落合英二、岩瀬仁紀、正津英志などを使いこなし、チームを11年ぶりの優勝に導いた。2004年、監督に就任した落合博満は入団以来中継ぎの岩瀬を抑えに回し、中継ぎには岡本真也、平井正史、落合英二を揃え、5年ぶりの優勝を果たした。「落合監督は就任時に、鉄拳制裁もあった星野野球からの脱却を図りました。ただ、後ろの投手を重視する姿勢は星野監督と変わらなかった。もちろん、当時は既に分業制が確立しており、特別なことではありませんが、この年の中日の完投は8でリーグ4位。継投策でセ・リーグを制しました。連覇を果たした2010年、2011年には浅尾拓也、岩瀬仁紀という鉄壁のリリーフ陣が他球団に立ちはだかり、浅尾は中継ぎ投手として史上初のMVPに輝いた。伝統的に、中日にはリリーフ投手が育つ土壌がある」 権藤博の故障を真摯に反省し、板東英二の抑えの適性を見抜いた近藤貞雄から始まった中日のリリーフ投手の歴史は、現在まで受け継がれている。
2021.02.11 19:00
NEWSポストセブン
『金曜日の妻たちへ』シリーズ通してテーマは「女性の自立」
『金曜日の妻たちへ』シリーズ通してテーマは「女性の自立」
 放送日の金曜夜10時には、主婦が電話に出ない──とまでいわれ、“不倫ドラマ”の代名詞にもなった伝説のドラマシリーズ『金曜日の妻たちへ』(TBS系)。あれから約40年、シリーズすべての脚本を手掛けた鎌田敏夫さんが同作について語る。『金曜日の妻たちへ』(以下、「金妻」)は3シリーズまであり、いずれも30代から40代の夫婦を主人公に、彼らの友情や恋愛を描いている。 1作目は「夫婦の友情」をテーマに、そして2作目は「既婚女性のセックス観」を、3作目は、道ならぬ恋に惑う男女を描いたイギリスの恋愛映画『逢びき』にちなみ、真面目な女性が既婚者との恋に落ちていく物語が描かれた。 初めからシリーズ化する予定はなく、1作目の反響を踏まえて続編が決定していったという。とはいえ、「同じものを書いてもつまらない」という脚本家・鎌田敏夫さんの提案で、メインタイトルだけは同一だが、物語も設定も、まったく別のものとして制作された。 しかし、いずれの作品にもいえることは、37年前の作品であるにもかかわらず、いま見てもまったく古さが感じられず、むしろ、いまだからこそ、より共感できる点が多いということだ。いま見ても新しい──なぜそう感じられるのか。それは鎌田さんが、3作品に共通して込めたメッセージが、いまもって私たちの課題になっているからだろう。「ぼくは、このシリーズを通して、“女性も個人の思いで生きてほしい”というメッセージを伝えたかったんです」(鎌田さん・以下同) たとえば、こんなシーンにそれが見て取れる。1作目13話で、夫・宏(古谷一行)が親友である英子(小川知子)と浮気をしていたのを知り、ショックを受けて家を出た妻・久子(いしだあゆみ)が、迎えに行きたいと電話で告げる宏に対し、《私は、子供たちのためとか、家庭のためとか、そんなことであなたと一緒にいたんじゃないんです。あなたと一緒に暮らしたかったから。それ以外のことは、何も関係ないんです。だから宏も、本当に私と一緒に暮らしたいかどうか。それだけ考えて》 と訴える。当時はまだ、結婚した女性は妻となり母となって、家族や子供のために生きるという価値観が当たり前だった。そんな時代にあって、夫婦であろうと“女である一個人の私”を求めるように迫るシーンは、相当新しかったはずだ。何せ、37年経ったいま見ても、ハッとさせられるからだ。「当時の女性には、いい嫁、いい母など、縛られるものがいっぱいあったんです。でも、それをはねのけないと、これからの世の中で生きていけないし、本来の自分になれない。本当の意味での幸せを女性につかんでほしい。そう思ったんです」【作品紹介】『金曜日の妻たちへ』1983年に放送。東京郊外に住む3組の夫婦の友情、恋、家庭問題などを描く。舞台になった東急田園都市線のたまプラーザ駅はドラマの効果で人気の駅に。出演/古谷一行、いしだあゆみ、竜雷太、小川知子、泉谷しげる、佐藤友美ほか『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』1984年放送。東京郊外の中央林間に4組の夫婦が引っ越してくる。その中には、かつて恋人同士だったふたりが……。近所づきあいや嫁姑問題などもリアルに描かれ話題に。出演/小西博之、高橋惠子、伊武雅刀、竜雷太、田中好子、板東英二、篠ひろ子ほか『金曜日の妻たちへIII  恋におちて』1985年放送。宮城県・仙台のお嬢様学校で同級生だった4人の女性の友情と恋愛が描かれる。小林明子が歌う主題歌『恋におちて -Fall in love-』も大ヒット。出演/古谷一行、いしだあゆみ、小川知子、奥田瑛二、森山良子、板東英二、篠ひろ子ほか※女性セブン2020年10月8日号
2020.09.25 16:00
女性セブン
甲子園83奪三振の板東英二氏、自給自足の狩りで鍛えた中学時代
甲子園83奪三振の板東英二氏、自給自足の狩りで鍛えた中学時代
 高校球児にとって、夏の甲子園が中止になったショックは計り知れない。憧れの甲子園スターになるチャンスは失われてしまった。そんな今だからこそ、実際にその座を掴んだ元スター球児たちに聞いてみたい。もし甲子園がなかったら、あなたの人生はどうなっていましたか──。 満州生まれの板東英二氏(80)は、苦労して戦後を生き抜いた世代である。「中学時代は実家が貧乏でグローブやスパイクを買えず、野球ができませんでした。それでも偶然、野球部に欠員が出て入部を許され、地肩の強さが認められてレギュラーになった。当時は自給自足でウサギに石を投げて捕まえていたから、スピードもコントロールもあったんです。本当は高校も普通校に進学するはずが徳島商から学費免除でスカウトされて、親が勝手に入学を決めました」 徳島商の野球部では年中無休のキツい練習に苦しんだが、今で言う特待生だったため、退部できなかった。猛練習の甲斐あって1958年夏の甲子園で大会通算83奪三振の金字塔を打ち立てたが、意外にも本人は冷めていた。「当時はどれくらい騒がれていたかも分からず、マスコミが宿舎に押し寄た時は、恐くてトイレに隠れていました。体が小さかったこともあって、どれだけ三振の記録を作ってもプロに入ろうとは考えもせず、野球で大学に入れるとの噂を聞いて喜んでいました。ところが甲子園の活躍で跳ね上がった契約金に心が揺らいだ父親がプロ入りの話を進めたんです」 宝くじの特賞が100万円の時代に板東氏の契約金は2000万円。貧しい時代に親を助けるためプロ入りを決意したが、本人は他にやりたいことがあったと言う。「満州からの引き揚げ船のなかで周囲の大人から掛け算や漢字を教わり、子供の頃から勉強が好きでした。僕は職業として野球をやるなんて夢にも思わず、本当は奨学金で大学を出て教員になるつもりで、高校時代も練習後に最低限の勉強はやっていた。だから高校で野球をやっていなければ、大学まで進んで、小学校の先生になっていたはずです」【板東英二:1958年夏、徳島商(徳島)で準優勝。1大会83奪三振の歴代最多記録を持つ】※週刊ポスト2020年6月12・19日号
2020.06.01 07:00
週刊ポスト
早慶戦でも古関の曲は大活躍(共同通信社)
中日ドラゴンズは古関裕而が作曲した応援歌を捨てていた
 NHK連続テレビ小説『エール』主人公で、窪田正孝が演じる古山裕一のモデル・古関裕而(こせきゆうじ)は、生涯で5000曲以上を作った名作曲家。とくに応援歌は傑作揃い。ライバル関係にある阪神・『六甲おろし』と巨人・『闘魂こめて』をつくったことなどで知られている。 同じセ・リーグの老舗球団、中日の応援歌といえば、燃えよドラゴンズ!』が有名だが、かつては中日でも古関が作曲した応援歌を使っていた。「1950年から使われていた『ドラゴンズの歌』や『私のドラゴンズ』はどちらも古関氏の作曲でしたが、その当時のチームは長く不振続き。 そのため心機一転、1974年に応援歌を『燃えよドラゴンズ!』へ変更。すると、その年に巨人のV10を阻止して20年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。当時は板東英二さんが歌っていて、選手の名前を打順で読み上げる歌詞のインパクトもあり、全国に広がりました」(中日球団関係者)※週刊ポスト2020年4月17日号
2020.04.06 16:00
週刊ポスト
私服代などを経費として計上していた(共同通信社)
1.38億円申告漏れの徳井義実、なぜフジテレビがスクープしたか
「想像を絶するだらしなさ」「ルーズ」「怠慢」──10月23日の会見で釈明したのは、お笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実(44)だ。吉本興業からの出演料などを個人会社「チューリップ」を通して受け取っていた徳井は、東京国税局から7年間で約1億3800万円の申告漏れなどを指摘されていたことが発覚した。 昨年12月に国税から「お叱り」を受けた徳井の追徴課税は約3700万円で、すでに修正申告し、納付したという。 芸能界の“申告漏れ”事件として思い出されるのが2012年の板東英二(79)だ。名古屋国税局から板東の個人事務所が7500万円の申告漏れを指摘されていたことが判明。後に開いた会見では「カツラは経費になるから、植毛もいいだろうと思っていた」との迷言を残したが、計8本のレギュラー番組を次々と失った。 現在、10本以上のレギュラー番組を持つ徳井はどうなるのか。「吉本興業にも報告していなかった徳井の申告漏れをスクープしたのはフジテレビ(FNN)です。売れっ子タレントの不祥事を報じる時は事前に編成にお伺いを立てるなど慎重に進めますが、徳井の場合、うちではゴールデンのレギュラーはないために影響は少ないと判断されたようです」(フジ関係者) とはいえ、徳井はNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』に11月から出演予定。出演CMは差し替えになっている。別のキー局プロデューサーはこう話す。「徳井はすでに修正申告しているので、降板にまで至るのかは微妙なところ。闇営業問題で謹慎中の宮迫博之とは違い、どの局もしばらく世間の反応を様子見するのでは」 年の瀬まで、笑えない日々が続きそうだ。※週刊ポスト2019年11月8・15日号
2019.10.27 16:00
週刊ポスト
松本人志の影響が見えない優勝者(イラスト/ヨシムラヒロム)
『ドキュメンタル』考 松本人志理論から離れるほど強さ際立つ
 1990年代以降、お笑いはブームを通り越し、一般人の会話にも組み込まれる言語ゲームとなった。日本で暮らす人ならば、松本人志による「お笑いIQ」論や、関西の芸人に浸透している笑いの論理に大なり小なり影響を受けているだろう。少年期にそれらのお笑いをたっぷり浴びて育ったイラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏ももちろん、松本を中心としたお笑い論の影響を色濃く受けてきた。シーズン7に至って、その理屈におさまらない面白さを見せるAmazonプライム・ビデオ『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』という笑わせ合いの神髄について、ヨシムラ氏が考えた。 * * * 4月26日、Amazonプライム・ビデオで『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』シーズン7が配信された。自腹の参加費100万円を握りしめた10人の芸人がエントリー、密室で6時間の笑わせ合いに興じる。3回笑えば脱落、最後まで生き残った芸人が優勝賞金1100万円を獲得する。“ルールがない状態で誰が最も面白いのか?”そんな視聴者の要望に応えた『ドキュメンタル』の反響は大きく、新作が配信されるごとに世間を賑わせている。 毎シーズン異なる芸人が出演する『ドキュメンタル』。今回は宮迫博之(雨上がり決死隊)、たむらけんじ、ハリウッドザコシショウ、小籔千豊、後藤輝基(フットボールアワー)、ハチミツ二郎(東京ダイナマイト)、加藤歩(ザブングル)、ノブ(千鳥)、みちお(トム・ブラウン)、せいや(霜降り明星)と人気者が集った。なかでも特筆すべきはシーズン5の優勝者、ハリウッドザコシショウが再び参加したことだろう。 過去、複数回出演している芸人はFUJIWARAの藤本敏史(4回)、ジミー大西(4回)を筆頭に数名いるがチャンピオンの凱旋は初。優勝時、最も笑わせて、最も笑わなかったハリウッドザコシショウをいかに倒すのか!? シーズン7は、「打倒、前王者」をキーワードに物語が進行していった。 そして、今回をもって笑いの密室劇『ドキュメンタル』のフォーマットが完成したようにも思えた。シーズン毎に足されたルールが機能し、芸人も『ドキュメンタル』といったゲームに慣れた感がある。贅沢な面々による攻防戦で常時誰かの顔が歪んでいた。笑っているのか、怒っているのか、苦しんでいるのか、どれともつかない笑いを我慢する破顔。この未分化な表情に『ドキュメンタル』が詰まっている。 今でこそ笑いが続く『ドキュメンタル』だが、当初はムードが異なっていた。それこそシーズン1は、番組よりも実験といった意味合いが強かった。誰もやったことがないゲームに挑む芸人の戸惑いとプレッシャー、そして、なによりも「松本さんが見ている……」といった緊迫感。良くも悪くも視聴者に現場の殺伐とした空気感が伝播するマニアックな内容だった。 そんなシーズン1よりも更に試行錯誤をしていたのが幻のシーズン0だろう。『ドキュメンタル』1周年を記念し配信された『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル Documentary of Documental』で観られる『ドキュメンタル』のパイロット版である。 シーズン0における最大の特徴は、ルールのシンプルさ。“2回笑った人が退場する”、たったこれだけ。時間も無制限、今では許されている道具の持ち込みも禁止されていた。本当の意味で、身一つで笑いをとるゲームだったと言える。今では人気芸人の会員制クラブと化しているが、当時は違った。参加者のなかには一般的には名前を知られていない芸人も、そして元プロ野球選手の板東英二が名を連ねていた。パイロット版ということを加味しても、自力で笑いを生み出すタイプではない芸人がいたことが特徴的。結果、シーズン0のバトルは非常に重いものとなっていた。笑わせることをしない芸人がいるため、沈黙している時間が長い。時折、笑いは起こるものの開始8時間を過ぎた頃には場が完全に停止。膠着状態があまりにも続くため、業を煮やした松本がプレイルームに入室し、話を回すといった展開に……。 シーズン0を観る限り、松本はたぶん、もっと簡単に芸人は笑うと考えていた。トリッキーな板東の登板は、そんな余裕に由来するものだろう。しかし、シーズン0で表出したのは玄人が玄人を笑わせることの難しさだった。 このように『ドキュメンタル』とはハードモードなゲーム。今回のコラムを執筆するにあたり全シーズンを観返し、再確認する。また、そのなかで『ドキュメンタル』で普遍的に問われている2点の項目にも気がついた。 ひとつ目は、自分が用意してきた持ちネタを披露する積極性。配信される動画では松本もツッコミや笑い声も入って賑やかだが、実際の現場は無音だという。そんな緊迫した状態でいかに自分の攻撃時間を作っていくか。シーズン7、ゲームが始まる数秒前「こんなことを言うのもなんですけど、『ドキュメンタル』で攻撃せずに面白くなかった人って無茶苦茶叩かれますから」と松本。リスクをとらず、ただ笑わないで場にいるだけでは許されない厳しさがある。 ふたつ目は、現場で起こる事柄に対して瞬時に笑いで返せる即興性。攻撃を仕掛けられた際の受け身、そこからの反撃が見所である。台本ありきで進行するバラエティ番組とは異なるため、自身から生み出す言葉で勝負するしかない。 上記の2点において、『ドキュメンタル』史上最も優れていたのがハリウッドザコシショウだと言えよう。シーズン7でももちろん優勝。ちなみに、笑ってしまった回数は1回、笑わせた回数は……ナント11回。圧倒的な強さを誇示していた。 また、繰り出される笑いがオリジナルの塊だから素晴らしい。どんな芸人にも似ていないスタイル。確かに面白いのだが、言葉で説明するのが実に難しい新しい笑い。松本がかつて生み出したロジカルな笑いとは真逆のスタイル。理屈じゃなくて感性に訴えかけてくる、野生的な面白さ。 ハリウッドザコシショウに3回笑わされた小籔は、敗者インタビューで「ザコシショウのお笑いのメカニズム無茶苦茶ですよね」と吐露していた。理論派の小籔ですら、言語化できていない未知なる笑い。かつて、松本は自身が“面白い”と考えることが“面白い”ことであると世間に認めさせた。それと同じ行為をハリウッドザコシショウは『ドキュメンタル』で再現している。自らが生み出した変な行為で玄人を爆笑させ、世間に自分の笑いを提示。これは過去、ハリウッドザコシショウが旋風を巻き起こした『あらびき団』『R-1ぐらんぷり』よりも強固なアピールとなるだろう。 既存の芸人の誰しもが大なり小なり松本人志の影響下にある。ハリウッドザコシショウも影響を受けているハズ。しかし、それがあまりにも見えてこない。松本がゲームマスターを務め、ジャッジもする“ルールがない状態で誰が最も面白いのか?”を決める大会で、勝者となった芸人の芸風が松本要素少なめだったということは興味深い事象だ。 新しい笑いが肯定される場所『ドキュメンタル』。制作が決まっている次回シーズン8で、新たな笑いの創造主が生まれるのだろうか。誰も知らない、未知なる笑いの領域を観せてくれることを期待している。●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)
2019.05.12 16:00
NEWSポストセブン
電波少年、ASAYAN、ねるとん… 平成前半に終わった名物番組の思い出
電波少年、ASAYAN、ねるとん… 平成前半に終わった名物番組の思い出
 平成という時代で大きく変わったのが、テレビの立ち位置。平成前半まではテレビが娯楽の王様でしたが、2000年代に入ってインターネットとスマートフォンが一気に普及し、猛烈に進化を遂げたことで、一気にテレビ離れが進みました。今回は、テレビがまだまだ“王様”だった平成前半に終焉を迎えた長寿番組について、ライターの金子則男氏が振り返ります。【東京フレンドパークII(TBS系):1994~2011年】 関口宏の司会のもと、ゲストが色々なゲームに挑戦する「フレンドパーク」。壁に貼り付く「ウォールクラッシュ」やホンジャマカと対戦する「ハイパーホッケー」が印象に残るアトラクションでしょう。家族で見るのにピッタリな番組は20年近く続き、関口宏は前身番組の『関口宏の東京フレンドパーク』(1992~1993年)、さらにその前の『クイズ100人に聞きました』(1979~1992年)と合わせると、合計30年以上も「TBS月曜19時の顔」を務めました。【どっちの料理ショー(日本テレビ系):1997~2006年】 三宅裕司率いる「三宅チーム」と、関口宏率いる「関口チーム」が、それぞれ1つの料理を素材から料理法までこだわり抜いて作り、出演者がどちらを食べたいかを決める番組。「ローストビーフvs北京ダック」「天丼vs親子丼」「回鍋肉vs麻婆豆腐」「カレーライスvsラーメン」「しょうが焼きvsハンバーグ」など、数々の名勝負が繰り広げられました。【電波少年シリーズ(日本テレビ系):1992~2003年】 平成のテレビ史を振り返る上で、決して避けることが出来ないこの番組。番組名はコロコロと変わりましたが、基本的には「芸人が無理な指令に挑戦する」というものでした。人気番組という枠を超えて社会現象になった「猿岩石ユーラシア横断ヒッチハイクの旅」、“坂本ちゃん”が東大を目指す「東大一直線」、懸賞品だけで生活する“なすび”の「懸賞生活」、さらに「松村邦洋vs渋谷のチーマー」「松本明子vsアラファト議長」など、伝説は数え切れません。【ASAYAN(テレビ東京系):1992~2002年】 番組スタート時は『浅草橋ヤング洋品店』という番組名だったものの、途中からバラエティ色が一気に強くなり、やがてオーディション番組へと変貌。中でも話題をさらったのがモーニング娘。でした。もともとは「女性ロックヴォーカリストオーディション」を行い、合格したのは平家みちよでしたが、それに漏れた5人(中澤裕子、飯田圭織、石黒彩、安倍なつみ、福田明日香)が集められ、モーニング娘。へと発展。国民的人気グループになりました。その他、鈴木あみ(現・鈴木亜美)、CHEMISTRYなどもこの番組出身です。【マジカル頭脳パワー(日本テレビ系):1990~1999年】「頭脳パワー」という番組名どおり、知識よりもひらめきや頭の柔らかさが要求されたクイズ番組。「マ~ジ~カ~ル~バ~ナ~ナ♪ バナナと言ったら?」というフレーズが今も頭に残っている人は多いでしょう。司会は板東英二、アシスタント(マジカルオペレーター)は永井美奈子アナが長い間担当していました。【料理の鉄人(フジテレビ系):1993~1999年】 1990年代、一時代を築いたのがこの番組。道場六三郎、陳建一、坂井宏行、中村孝明ら和・洋・中の鉄人がゲストシェフと特定の食材で料理の腕を競うというもので、見事な料理はもちろんのこと、ケレン味たっぷりの鹿賀丈史の振る舞い、審査員・岸朝子の「美味しゅうございました」なども印象に残りました。【スーパージョッキー(日本テレビ系):1983~1999年】 日曜の昼下がり、ひたすらバカバカしさを追求したこの番組。ビートたけし司会のもと、たけし軍団のメンバーが体を張った企画に挑戦する「THEガンバルマン」、熱湯風呂に入った時間だけ告知できる「熱湯コマーシャル」など、名企画は数知れませんでした。【天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ系):1985~1996年】 いま思えば、番組名に「天才・たけし」と付けるセンスもスゴいですが、天才という言葉が決して大げさに感じられないほど次々とヒット企画を連発したこの番組。「勉強して東大に入ろうね会」「ダンス甲子園」「早朝バズーカ」「勇気を出してはじめての告白」「江ノ島元気が出るハウス」、後の世界チャンピオンを生んだ「ボクシング予備校」など、その後のバラエティ番組で、似たような企画が何度も焼き直しされていることが、この番組の偉大さを証明しています。【ねるとん紅鯨団(フジテレビ系):1987~1994年】 素人いじりには定評があるとんねるずが、その才能を遺憾なく発揮したのが「ねるとん」。番組内容は「集団お見合いパーティー」で、「貴さーーんチェック!」「ご対面」「ツーショット」「告白タイム」「ちょっと待った!」など、決まりきった展開ながら爆発的な人気を博し、一時期は今で言うところの婚活パーティーが「ねるとんパーティー」と呼ばれていました。【アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ系)1977~1992年】「ウルトラクイズ」といえば、「お笑いウルトラクイズ」を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、本家はこちら。その名の通り、アメリカ大陸を横断しながらクイズをやろうという年1回放送のスケールの大きな番組で、「史上最大」のキャッチフレーズは伊達ではありませんでした。成田空港のじゃんけん大会、機内ペーパークイズ、どろんこクイズ、ニューヨークでの決勝戦など、「知力・体力・時の運」が要求されたこの番組。1998年に1度だけ復活しましたが、その後、復活していません。
2019.04.28 15:00
マネーポストWEB
ビートたけし 前澤氏やすしざんまいの“話題作り”の是非
ビートたけし 前澤氏やすしざんまいの“話題作り”の是非
 ファッション通販サイトZOZOTOWNの運営や、女優・剛力彩芽とのオープンな交際で知られる実業家の前澤友作氏が、TwitterでRTした人を対象に100人に100万円プレゼントを実施し、大きな話題となった。応募するためだけにTwitterアカウントをつくった芸能人もいたほどだ。新刊『さみしさの研究』が話題のビートたけしが、突如、盛り上がった「100人に100万円」騒動について、考えた。 * * * いろんなことを考えるもんだよな。やっぱり、カネの遣い道にはその人の個性というか本質が出てくるね。「ZOZO」の前澤(友作)って社長が、ツイッター上で100人に100万円ずつ、総額1億円をお年玉としてプレゼントするって企画をやり始めて大騒ぎになってさ。 それに釣られて、300万人以上が殺到したというんだよな。 オイラからするとカネをばらまいて世間の注目を集めようとするのも、それにへいこら乗っかるヤツも品がないって思っちまうんだけどさ。 今回もそうだけど、この社長はオークションで100億円もする絵を落札したり、野球チームを買収しようとしたり「本業じゃないこと」に熱心だよな。 でも、費用対効果の高い宣伝と考えれば、なかなか上手いんじゃないの。まァ、言ってみれば「すしざんまい」と同じやり方だよ。 板東英二みたいな顔したすしざんまいの社長が毎年、マグロの初競りで何億円ってカネをかけて競り落としてるだろ。「なに馬鹿なことをやってるんだ」って思うかもしれないけど、それでもメディアは食いつくワケでさ。同じだけCMで露出しようとしたら、競り落とした金額じゃ済まないぜ。 今年は史上最高の「3億3360万円」で落札したらしいけど、あれだけ報道してくれるんなら安いもんだよ。もともとCMを流さないNHKでも紹介されたんだから、そりゃ狙い通りだよな。 こういう“話題作り”を批判するメディアも多いけどさ、そもそもこういう件をテーマとして取り上げる時点で企画したほうの思うツボなんだよ。もし、前澤社長みたいなやり方を本気で憎々しく思うなら、完全無視しかなくてさ。まァ、昔の“荒れる成人式”と同じだよな。 テレビやらで扱うからブームになるし、飽きて扱わなくなるとだんだん廃れていくというね。きっと何年かしたら、マグロの初競りも、前澤社長のパフォーマンスも飽きられちゃうよ。賛否両論あっても、みんなが話題にしてるウチが華だよ。●取材協力/井上雅義※週刊ポスト2019年2月1日号
2019.01.21 07:00
週刊ポスト
レジェンド始球式 江川、荒木、清原らが呼ばれなかった理由
レジェンド始球式 江川、荒木、清原らが呼ばれなかった理由
 大会初日の松井秀喜氏を皮切りに、甲子園OBが連日「レジェンド始球式」に登場し、100回の記念大会に花を添えている。最高齢・85歳の中西太氏(高松一)、大会通算83奪三振などの記録を誇る板東英二氏(徳島商)、“元祖甲子園アイドル”太田幸司氏(三沢)ら錚々たる顔ぶれだ。主催社・朝日新聞によれば、選考基準は「夏の甲子園での活躍」「高校野球ファンの記憶に残る選手」などだという。 しかし、高校野球ファンであればこそ、「なぜあの選手がいないの?」という疑問も湧いてくる。 1973年夏に「怪物」の名をほしいままにした作新学院の江川卓氏や神奈川大会では始球式の打席に立った原辰徳氏(東海大相模)も入っていない。いったいなぜ?「様々な方にお声をかけたなかでスケジュールの都合などの事情はありました。個々の方の経緯についてはお答えを差し控えます」(朝日新聞大阪本社広報担当) 1年生エースとして大ちゃんフィーバーを巻き起こした現・日ハム二軍監督の荒木大輔氏(早稲田実業)が出ていない理由については次の回答だった。「現役のプロ野球選手や監督、コーチなどは対象としませんでした」(同前) 他にも、甲子園通算13本塁打の清原和博氏(PL学園)、荒木に投げ勝って優勝した愛甲猛氏(横浜)が入っていない。現役引退後の“お騒がせ”を鑑みると、甲子園の地に再び立つことは難しいのかもしれない。 100回の歴史を振り返るなかで、姿がないのは寂しいレジェンドもいるが、呼ぶ側にも呼ばれる側にも“事情”があるようだ。※週刊ポスト2018年8月31日号
2018.08.21 07:00
週刊ポスト
「ウルトラ…」「100人に…」「マジカル…」クイズ番組の歴史
「ウルトラ…」「100人に…」「マジカル…」クイズ番組の歴史
『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』(テレビ朝日系)や『東大王』(TBS系)、『ネプリーグ』(フジテレビ系)などクイズ番組が人気だ。 日本におけるクイズ番組のはしりは1953年に放映を開始した『ジェスチャー』(NHK)だ。答えとなる単語を解答者の仲間が体の動きのみで表し、解答者が時間内に当てるという簡単な内容だった。 テレビの普及率が上がり、番組の種類も増えるにつれ、1961年の『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ系)、1969年の『ベルトクイズQ&Q』(TBS系)といった人気クイズ番組も増えてゆく。テレビ解説者の木村隆志氏が言う。「この頃のクイズ番組出演者のほとんどが一般視聴者でした。当時は今のように海外旅行は誰にでもできた時代ではない。視聴者は海外旅行など憧れの高額賞金の獲得を夢見てクイズ番組に参加した」 視聴者たちの欲望を満たすため、賞金額や賞品はどんどん値上がりしてゆく。その頂点が、1970年に放映された『クイズ・キングにまかせろ!』(フジテレビ系)で出品された約1000万円の高級マンションだった。しかし、このあまりに豪華すぎる賞品は「射幸心を煽る」として国会問題にまで発展し、結果、賞品や賞金の値段は100万円以内に定められた。 それでも、視聴者のクイズ熱は一向に収まらなかった。「あるあるある」のかけ声でおなじみの視聴者参加型クイズとして大きな人気を集めた関口宏司会の人気番組『クイズ100人に聞きました』(TBS系・1979~1992年)でナレーターを務めた橋本テツヤ氏が振り返る。「あのかけ声は、演出ではなく会場の盛り上がりから自然発生的に生まれたものだった。それだけ盛り上がったのは、『100人に聞きました』が一般人100人に対して行ったアンケートの結果上位を推測して解答するというルールだったため、知識がなくても想像力を働かせれば正解できる斬新さがあったから」 参加者の中から次第に圧倒的知識をもって数多のクイズ番組で活躍するクイズ王が現れるようになる。 名だたるクイズ王を幾多、生み出してきたのは「ニューヨークへ行きたいか?」の名台詞で一大旋風を巻き起こした『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系・1977~1998年)だった。「海外旅行がクイズ番組の優勝賞品だった時代に、わざわざ出演者をアメリカ本土まで連れて行き、ただただクイズを行うという手法はエポックメイキングでした」(木村氏)◆「クイズ王」が振り返る「アメリカ横断ウルトラクイズ」 そのスケールの大きさが視聴者の心を掴み、最高視聴率は34.5%をたたき出した。数字の上昇とともに、強者たちが番組に集結し、しのぎを削った。第15回大会の優勝者で、その後も『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)などさまざまな番組で活躍した、元祖クイズ王・能勢一幸氏が言う。「小学生のとき、『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』を見て次々にクイズに正解してゆく大人たちの格好よさに憧れて、いつか自分も出場したいと思うようになりました。だからいざ自分が『ウルトラクイズ』の舞台に立ったときは感慨深かったです。だけどそこでの戦いは壮絶で、途中、ドミニカ共和国ステージで最後に私と対戦相手の競り合いになったとき、相手の早押しハットが先に立ったんです。あのときもうダメだ、と思った瞬間に頭の中でこれまでの記憶が駆け巡ったことを鮮明に覚えています。そんな激戦を経て優勝したのは22才のとき。以降、クイズ王と呼ばれるようになりました。例えるなら五輪に出てメダリストになったのと近い感覚です」 クイズ王たちによって、クイズ番組の“地位”が高まると、「出演して答えられないとイメージが悪くなるから」と出演拒否していた芸能人も出演するようになる。「はらたいらさんに3000点」でおなじみとなった大橋巨泉司会の国民的番組『クイズダービー』(TBS系・1976~1992年)にレギュラー出演していた女優の長山藍子(76才)はそのはしりだった。「女優としてのキャリアは積んできましたが、バラエティーへの出演は初めてでした。最初はなかなか正解できなかったから不安でした。ファンからも『長山さん、全然当たらないですけど大丈夫なんですか?』と聞かれたこともありました。だけど一緒に出演していた篠沢秀夫学習院大学教授の『クイズの結果と頭の良し悪しは関係ないということをぼくが証明している』というユーモアたっぷりのお言葉に励まされました」 以降、石坂浩二が出演した『世界まるごとHOWマッチ』(TBS系・1983~1990年)など芸能人参加型のクイズ番組が増えてゆく。「芸能人の参加に伴い、クイズの内容も、頭の良さや知識を競うものから発想力や瞬発力を問うものに変化し、バラエティー色が強まった」(前出・木村氏) その中でも、当時芸能人たちがこぞって出演したがった伝説のクイズ番組がある。 常時30%近い視聴率を記録した『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系・1990~1999年)だ。名物クイズとなった「マジカルバナナ」は流行語になるほど、老若男女問わず、誰もが夢中になった。 司会を務めた板東英二(78才)が振り返る。「1つの単語から次の単語を連想する『マジカルバナナ』ほか、番組オリジナルのクイズはどれもリズムとテンポを大事にしていました。5才の子供でも理解できる非常に単純なクイズだった半面、頭の柔らかさや発想力がないとうまく解答できない。だから、東大卒の政治評論家である俵孝太郎が正解できない問題をタレントの所ジョージが易々と答えられることもあった。人はそれぞれ違う個性や発想があることがクイズを通してわかるというのも、受け入れられた点だと思います」※女性セブン2018年5月31日号
2018.05.21 07:00
女性セブン
「2つの誕生日」を持つ著名人まとめ by NEWSポストセブン
「2つの誕生日」を持つ著名人まとめ by NEWSポストセブン
「戸籍上の生年月日」と「実際に生まれた日」と2つの誕生日を持つ5名の著名人が、誕生日が2つある理由やエピソードを語った。(2017年7月1日更新)◆出生届けを忘れられた内海桂子(漫才師)︎戸籍は1923年1月12日→本当は1922年9月12日 ︎駆け落ちした両親が役所に届けることを忘れていた 私は今でいう“駆け落ち”の親から生まれた子なんです。当時、両親はどちらも20歳。2人とも東京生まれの東京育ちなのに私を生んだのは遠く離れた千葉県の銚子だったので近所に親身になって相談に乗ってもらえるような人がいなかった。それだからか、大正11年(1922年)9月12日に私が生まれても役所に届けることを忘れていたみたいです。︎本当の誕生日を知ったのは戸籍を取った時 戸籍の生年月日と実際に生まれた日が違うことがわかったのは戦時中に海の向こう(満州)でお国のために戦う兵隊さんの慰問に行こうとした時に、身分証明書を作らなければいけないから、役所に行って戸籍を取った時のことです。母親から「誕生日は9月12日」と聞かされていたのに、戸籍には翌年の1月12日とあった。あれっと思って母親に聞いて、初めて事情を知りました。︎ややこしいのは勲章や褒章をもらった時 ややこしいのは、お国が絡む場合です。すべて戸籍に基づくから、勲章や褒章をもらった時は「1月12日生まれ」としての年齢で記録されるし、発表される。そうなると、1月12日に誕生祝いをしてくれる人も出てきたりするので、1年に2回もお祝いがある。細かい説明をすると面倒くさいから、何度でもありがたく祝ってもらってますよ。関根潤三(野球解説者)︎戸籍は1927年3月15日→本当は1926年12月25日 ︎ズボラな父が役所に届けるのを忘れる まあ、簡単にいうと、親父が役所に届けるのを忘れてたの(笑い)。大正15年12月25日は大正天皇が崩御された日で、翌日から元号が「昭和」になったんだけど、役所は喪に服して業務をやっていなかった。おまけに親父がズボラだったから、そのまましばらく出生届を出し忘れていた。ようやく出したのが翌年3月15日。さらにマヌケなことに、届けを出したその日を誕生日にしちゃった。︎父のおかげで戦争に行かずに済んだ だけど、おかげで僕は戦争に行かずに済んだ。大正15年生まれの男性には召集令状が来たけど、同じ学年でも僕は徴兵されなかった。出征した同級生は大勢戦死したり、なかなか復員できなかったりしたから、僕も戦地に行っていたら野球ができたかどうか。親父は「お前が戦争に行かずに済んだのはオレのおかげだ」と口癖みたいにいっていたね。たしかに親父のズボラのおかげで助かったわけです(苦笑)。◆あえて誕生日を変えられた肥後克広(お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部)︎戸籍は1963年3月15日→本当は1962年7月15日 ︎本当の誕生日をへその緒が入った桐の箱で知る 誕生日のズレに気付いたのは小学校高学年の頃。タンスの中から自分のへその緒が出てきたんです。なぜかその桐の箱には「昭和37年7月15日生まれ」と書いてある。「アレ?」と思って母に聞いたら、本当の誕生日は箱に書いてある通りだというんです。その理由を母は、「この子はどうせバカに決まってるから、誕生日を遅くしてひとつ下の学年にすれば、学校の勉強が少しは楽になると思った」というんです。いやいや、3月に出しても学年は一緒だから! 思わずズッコケましたよ。︎7月に「本当は3月だ」3月に「本当は7月だ」 7月に誕生会をしてもらうと「本当は3月だ」といわれ、3月にも誕生会をやると「本当は7月だ」と。僕自身は「もういいよ」って感じで、土田(晃之)とか後輩芸人たちもしつこいから、「戦後のゴタゴタに巻き込まれたから」って片づけようとすると「終戦直後の生まれじゃないだろ」とまたツッコまれるし……。 ちなみに3つ年上の姉の誕生日は5月25日。母は「ごご(5×5)にじゅうご(25)で覚えやすいから、5月25日にしといた。本当の誕生日はもう忘れた」だって。僕なんてまだマシですよ(苦笑)Mr.マリック(サイキックエンターティナー)︎戸籍は1949年1月1日→本当は1948年12月29日 ︎1月1日はおめでたい日 当時は自宅で産む家も多かったから、誕生日と届け出の日が違うケースは間々あったし、両親は「1月1日はおめでたい日だから」ということで、その日にしたかったんでしょう。僕も同じ立場だったら1日にしたと思いますよ(笑い)。︎占いをきっかけに本当の誕生日を知る 知ったのは、中学生の時です。正月に家族で「高島易断」みたいな占いの本を読んでいた時に、「僕はどうなの?」と母に聞いたら、「お前の本当の誕生日は12月29日だよ」といわれて。それから占いを見なくなった。良いほうを見ればいいんですけど、悪い占いも見ちゃいますから(苦笑)。︎1月1日生まれの豊臣秀吉が人生に影響 思えば豊臣秀吉が1月1日生まれだと知って、僕も子供の頃から一国一城の主になりたいと思っていた。秀吉が25歳でねねと結婚して所帯を持ったことを知って、僕も25歳で結婚して、慌てて自分の事務所を立ち上げたんです。だから、誕生日を1月1日にしてもらったおかげで、今の自分があるとも言えるわけです。そう考えると、誕生日って人生にいろいろと影響している。不思議ですね。◆高校生の時に生年月日を変えた板東英二(元プロ野球選手・タレント)︎戸籍は1940年4月5日→本当は1940年3月31日 ︎3月31日生まれは公式戦に出られない 中3の時の活躍が関係者の目に留まって、野球の特待生として徳島商業に入学できた。誕生日が問題になったのは、2年生でキャプテンになる前だったと思います。野球部の部長が生年月日を聞いてきて、「昭和15年3月31日です」と答えると、「裁判所に行くから」と。このままだと2年生のうちに18歳になってしまう。そうなると高野連の決まりに引っ掛かって、3年生の時に公式戦に出られなくなるというわけです。当時は引揚者も多く、僕みたいな状況の人がたくさんいて、高野連でも問題になっていたようですね。︎新しい誕生日は野球部の部長が決めた 部長に同行してもらって自転車で徳島地方裁判所に行き、誕生日1週間ズラして「4月5日」で登録しました。日付は部長が決め、手数料の50円も部長が出してくれた。1週間くらいの変更やったから、簡単にいったんでしょう。
2017.07.01 16:00
NEWSポストセブン
海老蔵、1日8個のゆで卵ダイエット 20kg減の実績も
海老蔵、1日8個のゆで卵ダイエット 20kg減の実績も
《卵8個たべて車乗ったらうぅ 正直、うぅ》。5月8日、自身のブログにこんなコメントを載せたのは、市川海老蔵(39才)。「ゆで卵ダイエットです。海老蔵さんは映像の仕事の時も、歌舞伎の時も、役に合わせて体重を絞ったり増やしたりしなければなりませんが、その強い味方が卵なんです。最初は2007年の舞台『ドラクル』で吸血鬼の役を演じた時だったと思います。白身だけを密閉容器に入れて持ち歩いて食べ続け、短期間で20㎏も体重を落としたそうです」(歌舞伎関係者) 以来、必要になるたびにゆで卵ダイエットを行っているというが、本人が《うぅ》っと漏らすように、やっぱりかなりつらそうだ。 5月10日には、卵が皿に山盛りになっている写真をアップ。そのすぐ横で焼きおにぎりを食べる息子の姿を掲載し、《修行だ…》とつぶやいていた。しかし、効果はてきめんのようで、過去、卵ダイエットを成功させ、《ありがとう!! ゆで卵》と歓喜の声を掲載したこともあった。 そんなに卵ばっかり食べていて、本当に大丈夫なの? という素朴な疑問もわいてくるが、専門家によれば「卵は完全食でダイエット向き」だとか。「ゆで卵はたくさん食べても血糖値が上がらないし、消化もゆっくりで腹持ちがいい。しかもたんぱく質が豊富だから美肌にもなるし、筋肉もつきやすいんです」(管理栄養士の浜本千恵さん) 確かに、「新幹線で東京から新大阪まで移動する際、ゆで卵を9個食べた」と豪語する大のゆで卵好き男・板東英二(77才)の肌はピカピカで、現在も3つのレギュラー番組を掛け持ちするほど元気。 でもひと昔前まで、卵といえば「高コレステロール食品」の代表格で、「1日1個まで」が常識といわれていなかったっけ!? ところが厚生労働省は2015年に発表した食事摂取基準(5年ごとに発表)から、コレステロールの摂取目標量の項目を削除。「食事から摂るコレステロール量と、血中コレステロール値とは関係がない」ことが認められたという。つまり、卵のコレステロールを気にする必要がなくなったのだ。「ただし、ゆで卵にはビタミンCと食物繊維が含まれていないので、食べすぎると栄養が偏る危険性があります。8個食べてもカロリー的には問題ありませんが、1食を3、4個に置き換えるくらいがちょうどいいです」(前出・浜本さん) 海老蔵本人も、こう綴っている。《栄養士の方と相談してやっていますので、成功したのだと思います。真似をして、ゆで卵だけでダイエットしない方が良いですよ笑》 そうカンタンにはいかないよう…。※女性セブン2017年6月1日号
2017.05.19 16:00
女性セブン
板東英二氏の「甲子園83奪三振」の裏に誕生日変更事件
板東英二氏の「甲子園83奪三振」の裏に誕生日変更事件
 1958年、夏の甲子園大会で史上最多の83奪三振や「延長18回引き分け」の記録を残し、中日ドラゴンズでも活躍した板東英二氏。しかし、生年月日を巡る“あるドラマ”がなければ、この大活躍はなかったかもしれない──。本人が語る。 * * * 僕は1940年3月31日の生まれなんです。1947年4月に満州から母の実家があった神戸に引き揚げてきて、小学校に入学しました。普通、小学校には6歳で入学して、1年生の間にみんな7歳になっていく。だけど僕は入学した時から7歳。1学年遅れで学校に通い出したんです。 すぐに親父が生まれ故郷の徳島の引揚者収容所にいることがわかり、僕は入学式に1日出ただけで、徳島の板東町の小学校に転校しました。もちろんそこでも1年遅れの1年生で、中学でも高校でもずっと1年遅れのままでした。 中学では野球部に入りたかったけど、ウチが貧乏でグラブやスパイクが買えず、2年の時に部室に余っているグラブを貸してもらえることになってようやく野球部に入部できました。最初は草履を履いてやってましたよ(笑い)。それでも、中3の時の活躍が関係者の目に留まって、野球の特待生として徳島商業に入学できた。誕生日が問題になったのは、2年生でキャプテンになる前だったと思います。 野球部の部長が生年月日を聞いてきて、「昭和15年3月31日です」と答えると、「裁判所に行くから」と。このままだと2年生のうちに18歳になってしまう。そうなると高野連の決まりに引っ掛かって、3年生の時に公式戦に出られなくなるというわけです。当時は引揚者も多く、僕みたいな状況の人がたくさんいて、高野連でも問題になっていたようですね。 部長に同行してもらって自転車で徳島地方裁判所に行き、誕生日1週間ズラして「4月5日」で登録しました。日付は部長が決め、手数料の50円も部長が出してくれた。500ミリリットル“タカラビール”の中瓶が1本100円の時代だから、そう高くない金額だったと思います。1週間くらいの変更やったから、簡単にいったんでしょう。 おかげで正真正銘の(?)高校2年生になり、3年の時に甲子園に出場できた。もし誕生日が3月31日のままだったら、延長18回の投げ合いもなかったし、プロにも入団できなかったかもしれませんね。 昔から僕自身は誕生日には関心がありませんでした。子供の頃は貧乏で誕生日のお祝いをしないから、兄弟の誕生日も知りません。 結婚記念日も家内の誕生日も覚えてない。高倉健さんが家内の誕生日に花束をくれた時にはびっくりしたくらいです(笑い)。そのくらい関心がなかったから、変える時にこだわりもなく、それで野球を続けられたということですかね。※週刊ポスト2017年5月5・12日号
2017.05.03 07:00
週刊ポスト
ハゲで何が悪い!? 有名人たちのハゲ名言集
ハゲで何が悪い!? 有名人たちのハゲ名言集
「薄毛治療薬を開発したらノーベル賞モノ」と言われるほど、人類にとって深刻かつ切実なコンプレックスである「ハゲ」。誰にも等しく起こり得る頭皮の問題だが、著名人たちの言葉を見てみると、さすが達観していたり、凡人とは異なる考え方をしているようだ。薄毛に悩むすべての方々へ、笑える&励まされる名言&迷言をご紹介!◆著名人編◆孫正義(ソフトバンクグループ株式会社代表取締役社長)https://twitter.com/masason/status/288641633187147776https://twitter.com/masason/status/91498376012632064→自虐ツイートは最大の広報戦略…なのか? 薄毛とも闘いながら日々を生きる企業戦士には共感を呼びそうである。モト冬樹(タレント)「自然な状態でいるとニコラス・ケイジに似てるなんて言われることもあるし…ハゲ方が(笑)。とは言いながら、本音ではやっぱりほしいけど、髪の毛(笑)」「ハゲはセクシーっていう外国の文化が広まればなと(笑)」(『ハゲ刑事』インタビュー)タモリ(タレント)「オレ、考えたんだけれども。ハゲっていうのは髪の毛がたくさんあって徐々に薄くなるから、これおかしいのよ」「あるかないかにすりゃいんだよ、一本だったらいいんじゃないか?」「ハゲるか生えるかしかないんだから」(フジテレビ『ヨルタモリ』)板東英二(野球解説者)「カツラが経費で落ちるとは聞いていたが、植毛は経費にならないと初めて知った」(釈明会見にて)→脱税問題で植毛までカミングアウトしちゃった坂東さん。政府には「ハ減税」を求めたい?金城武(俳優)「髪が少なくなろうが、別に気にしません」(マネージャーを通じてコメント)◆芸人編◆雨上がり決死隊・宮迫博之「俺にとって髪の毛は長い友達やなかってんから」「俺、薄かったけどハゲてはいない!」(フジテレビ『はねるのトびら』)ナインティナイン・岡村隆史「本物の毛やわ! 植えてるわけじゃない、生えてきてん!」(『ナインティナインのオールナイトニッポン』)ブラックマヨネーズ・小杉竜一「禿は一時の恥 被るは一生の恥」(著書『薄毛の品格』)「パリで一番おシャレな子はトップをハードすかし」(テレビ大阪『フットボール汗』)→無理に隠すことはないというポジティブ思考と考えてよい?トレンディエンジェル・斎藤司https://twitter.com/Trendy_Angel_S/status/615084578571599872我が家・坪倉由幸https://twitter.com/wagayatsubokura/status/715462631088197632https://twitter.com/wagayatsubokura/status/676763418926317568https://twitter.com/wagayatsubokura/status/615388569402671104→AGAには男性ホルモンをハゲ原因物質に変換する酵素がかかわっているが、芸人には「ハゲ」を笑いに変換する酵素でも備わっているのだろうか。ハート強し!◆外国人編◆ハゲは世界共通の悩みでもある。もちろん、あのハリウッドスターも我々、日本人と同じように薄毛の悩みと向き合っている。セレブリティたちの言葉は実に深く、心に響く名言やクスッと笑える迷言はきっとあなたを勇気づけてくれるはず。テリー・サバラス(俳優)We’re all born bald, baby.<皆、生まれてきたときはハゲだったんだぜ、ベイベー。>(テリー・サバラス 公式サイトより)→さすが元祖ハゲ俳優! セリフを決めてる姿が脳内で再生される(なぜか声は森山周一郎なんだが)。モービー(ミュージシャン)Small, bald white guys like myself – we all kind of look the same.<俺みたいにチビでハゲで白いやつは、皆大体同じ見た目だよ。>(書籍『Everyone Loves You When You’re Dead』より)ブルース・ウィルス(俳優)I will kick anybody’s ass who tries to tell me that I’m not one because my hair’s thinning<もし、誰かが薄毛を理由に俺を否定すれば相手が誰だろうとそいつの尻を蹴るよ。>(2006年に公開された映画『16ブロック』の記者会見にてコメント。書籍『Ageing, Popular Culture and Contemporary Feminism』より)ジェイソン・アレクサンダー(俳優)So yes, I’m still bald and yes, just like others in my profession who have to either wear make-up or dye their hair or undergo surgery, I now do a little something. It’s honestly no big deal for me and hope it’s not for you either.<そう、私はまだハゲです。職業で化粧をする人や髪を染める人、手術をする人と同じように、私もちょっとしたことをしているまでです。私にとって大したことではないですが、あなたたちにも同じように問題のないことだと願います>(自身のロングTwitterでカツラについてコメント)ジャック・ニコルソン(俳優)I’m an actor who they said was wrinkled and balding and everything else when I was in my early 30’s. Most of the people who wrote that who thought they were younger than me are now bald and wrinkled.<30代前半のとき、俳優なのにハゲだ皺だって書かれた。そのほとんどのやつらが俺より若く見えると思ってただろうけど、そいつらも今じゃハゲで皺があるよ。>(2002年公開映画『アバウト・シュミット』のインタビューで)→ハゲも薄毛もプラス思考で乗り切れるんだ!と思わせてくれますな。負け惜しみや開き直りに聞こえないのは、さすが大スターの貫禄か。ルキウス・アンナエウス・セネカ(ローマ帝国の政治家)I don’t consider myself bald, I’m just taller than my hair.<そんなに自分がハゲてると思いわない。ただ、私は髪の毛よりも背が高いだけ。>(書籍『A Geezer’s Guide to Mullet Maintenance and Combover Care』より)一方、髪の毛が乏しいとモテない…と思っている方々に向けて、こんなサポートメッセージも。メイ・ウェスト(女優)A man can be short and dumpy and getting bald but if he has fire, women will like him.
<小さくて太ってて、ハゲていても、もし彼に炎があるなら、女性はその人を好きになるわ。>(書籍『Getting away with it』より)ラリー・デイヴィド(俳優)Anyone can be confident with a full head of hair. But a confident bald man – there’s your diamond in the rough.<たくさんの髪の毛があれば誰だって自信は得られる。だけど自信を持った髪の毛がない男はダイヤモンドの原石だ。>(書籍『The Quotable A**hole』より)◆一般人ツイート編◆ネット民の間で「意識高い系」が流行語になった一方で、自らのマイナスイメージを覆す「意識の高いデブ」は、Twitterアカウントが7万人を超えた。同様に「意識の高いハゲ」もTwitterで共感を呼んでいる。では、そんなTwitterからの「意識の高いハゲ」の名言を紹介しよう。#心折れずに生きるhttps://twitter.com/claclaponta/status/615010807907115008https://twitter.com/mahounokanbanya/status/536040965791023104https://twitter.com/yako919/status/431385563493457920https://twitter.com/tak_nikaido/status/442186871364268032https://twitter.com/unagi_ramen/status/264914334436704256https://twitter.com/mahounokanbanya/status/533459052198510592https://twitter.com/GTeoki/status/278142374172045313→なぜか一様にハードボイルドな香りがする…のはなぜか? テリー・サバラスやジェイソン・ステイサムのような方が書いているのだろうか?#優しくなければハゲる資格はないhttps://twitter.com/Sena_is_a_Pen/status/492330928404824066https://twitter.com/uhouhochan/status/424326336555929600https://twitter.com/unagi_ramen/status/264921197056241664https://twitter.com/claclaponta/status/615011254520799233→なるほど、コンプライアンス重視の先駆けだったりするのかもしれない。#なんか凄そうな境地に達した人たちhttps://twitter.com/TeacherOfKuma/status/615014294816731136→得られたモノがなんなのかを、とっても知りたい。https://twitter.com/tourist_riori/status/403176875897274369→『機動戦士ガンダム』の登場人物が言いそう。https://twitter.com/claclaponta/status/614949242918957056→髪はなくなった代わりに、神となったのか?いかがだったろうか。著名人から無名の一般人まで共通しているのは、髪に深い悩みを抱えていると同時に、コンプレックスをジョークで吹き飛ばそうという気概を持っているという点だ。ハゲに負けそうになったときの、座右の銘として胸に刻んでおきたい。そして最後に、ツイッターで拾ったこの名言を贈ろう。https://twitter.com/pullphone/status/294296073214779392
2016.07.24 00:42
ポストセブンラボ 育毛研究室
ダウンタウンは「聞く技術」も一流だった
ダウンタウンの聞く技術 お騒がせ有名人が思わずしゃべる訳
 加護亜依、清原和博、アンタッチャブル柴田英嗣、元オセロ中島知子などお騒がせ有名人たちが、かつて起こした騒動を告白して話題を集めている『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)。この番組で、聞き役に回っているのがダウンタウンの浜田雅功と松本人志だ。話を引き出せるのは、2人の卓越した「聞く技術」があるからだという。テレビ解説者で、2000人超のタレントインタビューをこなしてきた木村隆志さんが鋭く分析する。 * * *『ダウンタウンなう』での姿を見て、「あれっ?」と思った人は多いのではないでしょうか。2人は話を聞いてばかりで、あまりしゃべっていないのです。しかし、しゃべっていなくても、存在感の大きさは精力的にコントをこなしていたころと変わっていません。その理由は、聞き手としての卓越したスキルにあるとみています。 まず注目したいのは、2人の異なる聞き方。ツッコミの厳しい浜田さんから「怒られるのではないか……」、クレバーな松本さんから「ダメ出しされないか……」と話し手にプレッシャーがかかりそうな気がしますが、決してそんなことはありません。 浜田さんは、「それってどういうこと?」と短い言葉で単刀直入に聞くスタイル。そのため、話し相手はあまり考えずに答えやすく、自然体で話すことができます。一方、松本さんは、「それってこういうこと?」と相手の言葉を補い、予測しながら聞くスタイル。2人の番組には芸人のようなトーク巧者でない出演者も多く、説明不足だったり、話が分かりにくかったりすることも多いのですが、さりげなくフォローしているのです。 また、大物らしさを生かしたテクニックも目立ちます。 1つ目は、相手の話に対するリアクション。2人は話の流れを止めずに受け止めるため、“あ行”を中心にしたリアクションを取っています。声として発しているのは「あっ!」「いやいや」「うわっ~」「えっ?」「お~」だけですが、大物司会者はこれくらいシンプルな方が、ゲスト出演者は気をつかわずに話し続けられるものです。 2つ目は、どこか他人事のような、ひとり言のような聞き方をしていること。「〇〇なんじゃないの?」「〇〇ってどういうことなん?」などと聞いた上で、その返事に「そうなんだ」「へえ~」と返すなど、向き合い過ぎないことで深刻な話をしやすいムードを作っています。実際、中島知子さんは洗脳騒動、加護亜依さんは喫煙騒動についてスラスラ話していました。 3つ目は、それとなく教えながらフォローしていること。2人は相手の話を補足するように、「そう言えば○○らしいよ」「何かで見たけど、○○みたいだね」とそれとなく伝えてフォローしています。後輩タレントに、自分の知識を誇るように教えるのではなく、相手の話を助け盛り上げるためのトークを挟んでいるだけなのです。 4つ目は、立ち位置の微調整。2人には相手の話に「分かるわ」「そりゃそうだよな」などと共感の言葉を返し、素の表情をサラッと見せるなど、同じ目線で聞こうとしています。「大物」ではなく、「親」「中年」「いちタレント」「一人の男」など、相手に合わせるように立ち位置を変えているのでしょう。特に清原和博さんや板東英二さんの話を聞いていたときは、戦友のような雰囲気を醸し出していました。 ダウンタウンがこのような聞き方をするようになったのは、やはり家庭人としての一面が大きい気がします。松本さんは昨年あたりから積極的に家族の話をするようになりましたし、浜田さんも昨年の浮気騒動で妻から「意気消沈ゴリラ」と言われた後は、良き夫を思わせる温厚なキャラに徹しています。だからこそ司会を務めながらも、「自分が目立つより、出演者を引き立てよう」という心境になり、聞き役に徹しているのではないでしょうか。 どこか一歩引いたその姿は、かつて今田耕司さんや東野幸治さんら後輩芸人を厳しい目で鍛え上げていたころとは全く異なるもの。90年代、ダウンタウンは、お笑いビッグ3(タモリさん、ビートたけしさん、明石家さんまさん)に続く存在として、今では当たり前になった“コンビ司会者”という形を定着させました。盟友のウッチャンナンチャンは別々で司会するようになりましたが、ダウンタウンにはずっとコンビ司会者として出演者のトークを聞き出してほしいと思っています。【木村隆志】コラムニスト、テレビ・ドラマ解説者。テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの聴き技84』(TAC出版)など。
2015.10.18 07:00
NEWSポストセブン

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