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2020.06.09 07:00  週刊ポスト

前田幸長氏「甲子園の予選に出られなかったらグレていたかも」

1988年夏、福岡第一高校で準優勝(時事通信フォト)

 高校球児にとって、夏の甲子園が中止になったショックは計り知れない。そんな今だからこそ、実際にその座を掴んだ元スター球児に聞いてみた。もし甲子園がなかったら、あなたの人生はどうなっていましたか──。

 準優勝という輝かしい成績を残した前田幸長氏(49)だが、大会前は出場そのものが危ぶまれていた。

「高校2年生の2月に体育のサッカーで右足を骨折し、無理に出場したセンバツは初戦であえなく敗退しました。直後に部員の暴力事件が発覚して3か月の対外試合禁止となり、甲子園出場を半ばあきらめていたところ、夏の福岡県予選が始まる直前に奇跡的に処分が解除されたんです」

 県予選を突破したチームは甲子園を勝ち進み、決勝戦で広島商(広島)に敗退。

「夏の甲子園でも絶対に勝ちたいという雰囲気ではなく、『センバツは1回戦で負けたから、ひとつ勝てば後は夏休みでいいじゃん』という感じでした。偶然が重なって勝ち進んだ印象なので、逆にもっと一生懸命やっておけばよかった(苦笑)」

 1988年ドラフト1位でロッテオリオンズに入団し、1年目から開幕ローテーションを任された。プロ19年で78勝を挙げた前田氏は、「甲子園がなくてもプロになっていた」と語る。

「高校2年の段階からスカウトが見にきていて、ドラフトにかかると勝手に思っていました。たとえ甲子園が中止になっていても、下位でしょうが指名されプロ入りしていたはずです。同世代の選手には負けないという絶対的な自信がありました。あのまま部員の不祥事で夏の県予選に出場できなかったら、長い夏休みが始まっていたので、グレていた可能性はありますけどね(苦笑)」

【前田幸長:1988年夏、福岡第一高(福岡)で準優勝。エースとして活躍し、4番の山之内健一とチームを引っ張った】

※週刊ポスト2020年6月12・19日号

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