準優勝旗を返還する習志野高校主将。第92回選抜高校野球大会中止のため前回大会の優勝旗と準優勝旗の返還はそれぞれの高校で行われた(時事通信フォト)
私立が営利目的なのは当然だし、昭和から平成にかけて、こんな野球学校はたくさんあって、日本中から球児をかき集めていた。山倉さんもそんな野球エリートたちを目の当たりにし、野球そのものに挫折した口だ。
「10代でいきなりそういう経験とか挫折って残酷ですけど、今はよかったと思ってます。自分を成長させてくれました。でもそれだって大人になったから思えるんですよ」
人間は、それぞれの与えられた能力と事情で生きるしかない生き物だ。でも悲観することはない。相対的でない絶対的な幸福を是とするなら、家庭を持って親子二人三脚の山倉さんもまた結果的には成功者。野球は駄目だったかもしれないが平凡で幸せな人生を歩んでいる。いまではそれすら人によっては途方も無い夢、家庭すら持てない団塊ジュニアは五万と居る。そもそも野球で食っていくなんて成功者はごく僅かで死屍累々、私たちの社会そのものとそう違わないだろう。大なり小なり、社会とは優生学と近代統計学の父であるフランシス・ゴルトン言うところの、綺麗事ではないダーウィニズムで成り立っている。そこから脱却するには絶対的な幸福に目覚めるしかない。
「甲子園どころかレギュラーにもなれなかった私が果たせなかった思いを息子に、というのももちろんありますけど、そんなのは私だって割り切れてるつもりです。過度に期待はかけてません、さっきも言った通り息子の技量はプロがどうこうではありませんから。ただ、いままでやってきてこれは無念だろうなと。親としてはそう思うんです。なんだか言いたいこと言おうとしたら愚痴になってきそうです。すいません」
それはわかった。ところで当の息子さんはどう思っているのか。
「もちろん割り切れてはいないようです。中止が決まった時にはみんなで泣いたそうですし、家で元気もありませんでした」
夏の大会の中止で強豪校の子たちが泣いている映像が映し出されたことは記憶に新しい。地元の子はもちろん、野球留学の子だって親元から離れてがんばってきたのだ。かわいそうなのはその通りだ。
「でも仲間がいるのが幸いですね。みんなで前向きに練習は続けています。強くはないけど、いい高校に入ったなと思いますよ」
◆代わりの試合で納得しているわけじゃない
山倉さんの息子さんの高校は全国区の強豪校ではない。セミプロがしのぎを削る甲子園常連校ではない分、本来の教育としての役割が生きているのだろう。私はどちらもあっていいと思っている。プロを目指すなら前者のような厳しさは当然だ。後者も人間的な成長という点では本来の部活のあり方だ。もっとも、今回のコロナが高校野球の行き過ぎた商業化に一石を投じるかもしれないが――。
「そういう意見、ちょっと嫌ですね。なんなんですかね。そりゃ外野はいくらでも言えますよ。3年間の思い出は消えないとか、経験は次に生きるとか。でもそいつらだって自分のことでそんな納得できますかね、コロナだから中止、コロナだから取りやめ、自分のことだったら、納得はできないでしょうよ」