「息子は将来、高校野球に携わりたいと言っています。自分が選手としてはもう満足に出来ないことはわかってるんでしょうね。学校の先生とかですかね。監督でなくても、顧問とかいろいろあると言ってます」
頼もしい息子さんだ。掴み取ったレギュラーで最後の3年生なのに中止、落ち込むのは当然だろうが、頭の切り替え、将来に対する考え方はお父さんより冷静なのかもしれない。幸い学校の先生は少子化と枠の拡大でなりやすくなった。大学に進学して、教員免許を取って、高校野球の指導者なんて最高だ。このコロナの経験も、それこそ気休めではなく活かすことができるだろう。なんだ、全然心配ないじゃないか。子どもの未来なんて、青春の一時でどうなるものじゃない。高校生ともなればそれくらいには強くてしたたかだ。
最後は息子さんの自慢に終始したが、お父さんも私にぶつけて少しはすっきりしたのだろう。このコロナ禍、人生が変わってしまった人、人生の計算が狂った人も大勢いるだろう。それどころか命を奪われた人々もいるわけで、確かに「高校野球ごときで」と思う人もいるのもわかる。自身の失業や身内の不幸に比べれば、というのももっともな話だ。それでも人間はそれぞれがそれぞれの事情で生きている。その価値の大小は他人が決められるものでもないだろう。しかしそこにとどまってもいられない。
人間は前にしか進めない動物であり、時間もまた前にしか進まない。その普遍の真理に隷属する私たちだからこそ、それぞれの事情を乗り越えるための人間力が、私たちの「コロナ後」の生き方に問われている。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。常総学院高等学校卒業。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。近刊『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。