「「写経の会」によって、私は僧侶にならしめらたんです」。アメリカのサンマテオ仏教会で話す英月さん
◆きっかけは「ネコのお葬式」
──驚くことに、アメリカでもお見合いを始められます。外国で一人で生きるより、パートナーがいたほうがいい、と考えるのはわかるのですが、結婚相談所に申し込まれました。
英月:これは実は友人にもあまり話していないことで、できれば墓場までもっていきたい秘密だったんですけど……、今回、自分の人生を振り返るなかで、このときのことも無駄ではなかったと気付かされて、書かなければと。無駄なことって何もないんです。そして、人間の思い込みや呪縛って、そう簡単に解けないものですね。
──アメリカでさまざまな体験をされますが、あるとき、ビザのためにやむなく僧籍をとり、ひょんなことから友人のネコのお葬式をすることになる。その辺りから、英月さんの人生が仏教へと近づいていったように感じます。
英月:そっちに行きたいと思っていたわけでは全然ないんですけどね。お寺に生まれたのに、仏教にはまったく興味がなかったので。ただ思うのは、アメリカに行ってがむしゃらに働いていた時期は、お金を貯めるという目先の目標をたて、そこに向かって頑張っていましたが、いつしか、いま与えられたこの場に一生懸命尽くそうという考えに変えられていった。同時に、様々な出来事に対する自身の受けとめ方も変えられて、その結果、自分が思いもよらなかった道が開けてきたような気がします。
──目標を設定し、そこを目指すよりも、「いま・ここ」に集中する。なぜそう変わられたのでしょうか。
英月:ゴールを決めて頑張っていても、ゴール自体が変わることってあるんです。自分の気持ちが変わることもあれば、環境や状況が変わることもあります。と言いましたが、アメリカでは本当に思うようにいかないことが多くて、「いま、ここ」が大変なことになっていたから、そこに集中せざるを得なかったというのが、正直なところです。
後付けの理由みたいですが、ゴールを定めると、ある意味で頭打ちとも思うんですね。もしかしたらそれ以上行けるかもしれないし、全然違う道だってあるかもしれない。一つのゴールを定めてしまうのは、自分の可能性を狭めることでもあるんです。そもそも人間、いつまで生きるかわからない。過去のある時点の自分の都合で決めた目標に縛られたまま、もし明日死んだら、実現しなかった未来を悔やむことになるんじゃないかな。
こうした自分の変化に気づかされたのは、「写経の会」をサンフランシスコで始めて、現地の新聞社の取材を受けたときでした。記者の方から「目標は?」と聞かれて、「ないですね」と即答していました。何かを得るために始めたわけでもなかったから。そしてこの「写経の会」によって、私は僧侶にならしめらたんです。
◆結婚「しない」という縁が整っている状態です