岸はその順番通りに動いた。首相になるとアジア諸国を2回歴訪して戦後賠償に取り組み、「国連中心主義」「アジアの一員としての立場の堅持」「自由主義諸国との協調」の外交三原則を打ち出して日本は国連安保理非常任理事国に初当選される。
次に「貧乏追放」で国民年金法など社会保障法案を成立させ、最後に訪米して新安保条約を調印したのだ。
そうやって岸が60年前に築いた日本社会のセイフティネットは、いま孫の代で壊れかかっている。それを“歴史の皮肉”というには切なすぎる。
◆文/武冨薫(ジャーナリスト)と本誌取材班
◇主要参考文献/安倍晋三『美しい国へ』、『週刊文春』1979年2月1日号、『日本週報』第212号、長谷川隼人『岸信介の経済再建構想と日本再建連盟』、原彬久『岸信介』、岸信介『岸信介回顧録』
※週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号