社会保障制度の父
中小企業育成、産業インフラ整備、社会保障がいわば“キシノミクス”の三本の矢だった。アベノミクスが円安と金融緩和で輸出大企業を儲けさせ、一方中小企業や地方経済を疲弊させて社会の格差を広げたのとは正反対の政策である。
「安保の岸」が“社会保障制度の父”だったとは意外に思うかもしれないが、そうした指摘に岸自身が語った言葉がある。
「岸内閣の時代に社会保障や福祉の基礎がつくられたということが、私のイメージに合わないというか、私になじまないような印象を受けるらしいが、(中略)民生安定の手段として社会保障政策を志向することは、政治家として当然やるべきであって、私としては別に気負ったわけではなかった」(『岸信介回顧録』)
大蔵官僚出身で岸内閣時代に官房副長官の補佐役を務めていた藤井裕久・元財務相が語る。
「岸さんは非常にバランス感覚に優れた政治家であり、その外交・安保政策の本質は、経済政策でもあったように思えます。安保改定のイメージから、岸さんをアメリカ寄りだと言う人がいるが、実際には国際協調主義者でした。なぜ国際協調を求めたのかというと、平和な世界は経済を良くする。国民の生活が良くなる。こういう考え方の人だったからです。
岸内閣が1957年に防衛力を漸増させる『国防の基本方針』を策定した時、岸さんの官僚時代からの腹心だった椎名悦三郎さんが国防会議の時に『順番が大切だ』と語り、1番は国連、つまり国際協調。2番は民生の安定(国民生活)。3番が自衛隊。そして4番に日米安保を挙げた。安保改定を一番下に置いたが、岸さんは一切否定しませんでした」