フェースシールドを着けて検温(時事通信フォト)
「元々うちの社長は『コロナは大したことがない』などと言って、営業自粛に反対していたんです。同族経営のワンマン会社でしたから、社長の意向は絶対。ただ、6月に入って社長の体調がおかしくなり、それと同時に社員の感染が発覚。二人は、朝礼などの際に対面で挨拶していたこともあったため、社長の感染も疑われました」(森田さん)
すると社長の態度は一変。役員や課長級以上の社員には自宅待機を命じ、全社員に「お触れ」メールを送りつけてきたという。
「それは、間も無く支払われるはずのボーナスの減額、さらに冬のボーナスはないと思え、という恫喝のような内容でした。一部の社員がたるんでいるから、社長である自分にまで危害が及んだ、とも書いてありました。以前と言ってることが全然違うし、感染した社員はそのまま辞めました。あまりに居心地が悪くなって、辞めるしかないと泣いていたそうです」(森田さん)
感染者数が増えても、検査数に対する陽性率や死亡率を確認し「医療体制の逼迫はない」などと説明して経済活動の復旧を目指すのは、強引すぎるとまでは言えないのかもしれないし、緊急事態宣言を新たに発出する事態ではないとはっきり示されると、それを覆すに十分な確固たるエビデンスもない。だがその判断の先に実現してほしいと思い描く経済活動について、政府や経済界の重鎮たちは、あまりに単純に考えてはいないか。今のように、条件さえ与えれば人が動いて数字が回復すると本気で考えているのだろうか。心がついていかない人たちは、簡単に動き出してはくれない。
たとえば、前述の地域を巻き込んだ学校や職場でのパニックのように、子供たちや経済を担う働き手の間に、コロナに起因する深刻なトラブルが起きている。恐怖が勝っている人たちの気持ちを無視した施策では、たとえ表面的に経済活動が復活しても、期待する効果が得られるとは考えにくいだろう。
もちろん国もまったく無策だったわけではない。4月に「医療従事者等の子どもに対する保育所等における新型コロナウイルスへの対応について」という通達が厚生労働省から、「新型コロナウイルス感染症の感染者等に対する偏見や差別の防止等の徹底について(通知)」が文部科学省から出ている。他にも、ハラスメントに対する注意喚起はしているが、実効性がある具体的なものはとぼしく、結局は問題解決へ向けて消極的にみえる。
この歪みを放置することは、日本経済の再起を阻む、潜在的な要因になる恐れは十分に考えられる。実際に思い込みや偏見による差別や嫌がらせなどがすでに発生していることは、周知の事実でもあろう。「GoToキャンペーン」における「東京除外」も、政府の考え方には一理あるとはいえ、性急で拙速な方針の二転三転は都民などからは猛反発が起こり、他方の人々からはさらなる誤解が生まれている可能性がある。そして多くの国民が振り回され、疲労し、こんなことで本当に「ウイルスに打ち克つことができるのか」と不安になれば、日常はさらに遠のく。延期された東京五輪も、こうした負の連鎖を断ち切れないまま強行開催するつもりなのか──。