村田兆治氏はマサカリ投法で鳴らした(時事通信フォト)
腕がしびれる
村田氏は1967年にドラ1で東京オリオンズに入団。2年目から先発ローテーションの一角を担い、1981年には最多勝と最多奪三振を獲得したが、その翌年、右肘を故障する。1年経っても改善が見られなかったため1983年にトミー・ジョン手術を受けたが、当時、球界では「肘にメスを入れるのは禁忌」とされていたこともあり、手さぐりの戦いだった。
「1984年の開幕時には二軍のシート打撃に投げられるほどになっていたが、5月に二軍戦で1イニング投げたら腕が腫れ上がって10日間ぐらい動かない。正直、失敗したと思った。でももう一度マウンドに戻りたいと必死だったし、壊れてもいいからやるべきことはやる。エースの意地だった」(村田氏)
1985年4月14日の西武戦で1073日ぶりの白星を完投勝利で飾った。球数は155球にものぼったが、この時も恐怖と隣り合わせだったという。村田氏が続ける。
「(執刀医の)ジョーブ博士からは100球が目処と指示を受けていて、実際100球を超えたあたりで腕がしびれてきた。いまでこそ痛みがあったことを話せますが、当時は誰にも言わなかった。この年は開幕から11連勝したけど、“もう1回切れたらどうしよう”という不安は常につきまとっていた。試合後もアイシングをするために遅くまで球場に残り、これにトレーナーが付き合ってくれた。みんなの支えがあっての復活でした」