55年寄り添ったふたり
ただ、俊子さんは夫が銀幕のスターであることは許容できても、石原裕次郎さんの後継者で居続けることには、疑問を抱いていたのかもしれない。何より、渡さん自身がそう考えていた。石原プロ関係者はこう振り返る。
「『おれが死んだら、石原プロは終わり』。それが裕次郎さんの遺言でした。ですから、渡さんとしてはその遺言を守りたかった。ところが、そうしてしまうと、相続税の支払いで苦しむまき子さん(裕次郎さんの妻)を見放すことになる。当時は銀行から8億円近くの融資を受けたばかりで、その返済も大きな問題になっていましたからね」
そこで渡さんは、裕次郎さんとの約束を先延ばしにした。ひとまずは自らが新しい看板となって石原プロを存続させることにしたのだ。
「当時まき子さんはまだ50代。渡さんとしては、まき子さんと石原プロの幹部の生活を守らなければ、という気持ちが強かったのでしょう。それだけに、すべてを背負いすぎているようで、渡さんを見ていてつらかったですね」(前出・知人男性)
裕次郎さんが鬼籍に入ったのち、自らの人生を諦め、“滅私奉公”を貫いた。その時間、実に33年の長さである。
「渡さんは『いい年をして刑事ドラマが本当にいいのか』と、石原プロで演じる役柄と、自分のやりたい役柄とのギャップに違和感を覚えていました。その苦悩を、俊子さんが知らないはずがない。裕次郎さんの後継者としての期待に応えるがあまり、俳優・渡哲也として独自の道を歩めない夫を、歯がゆく思っていたのは確かです。渡さんを自由にしてあげてほしい、というのが俊子さんの本音だったでしょう」(映画関係者)
※女性セブン2020年9月10日号