彼のスマホチェックは当然のこととして、彼のSNSの友人とはいつの間にか全て自分も友達に。飲み会があれば、パートナーとしてついてくる。そのせいで、当時は仲間内で「Sを呼ぶとIも来るからやめよう」という声が出たほど。二人のいない飲み会で、友人一同が吐露したことにより明らかになったのは、Iが仕掛けていた、世にも恐ろしい束縛術だった。
友情も愛情も“束縛”ではなく
なんとI、彼氏Sの女友達をひとりずつ直接訪問していたのだ。私たちはSNSでIと繋がっていたため、「ちょっと○○さんにしか言えない相談があるんですけど」などと彼女からDMが届く。女性陣は皆、同じアプローチを受けていた。
「あ、私のところにも来たよ?」「いきなり飲み屋に現れて言いたいことだけ言って、消えて行ったけど」。ちなみに私も彼女の家庭訪問を受けた。私の場合、公園をランニングしていることをTwitterにアップしていたら、その公園にIが現れた。Iが偶然を装うために公園で張っていたことは後から知った。
ただ全ては「彼は私のものよ、近づかないで」という牽制だったはず。他にもSNSや仲間内から情報を収集、歴代彼女も隈なくご訪問していたのは……驚愕を超えて……笑った。ここまでの一連の作業を、きちんと仕事をしながら全てクリアしていたと想定すると、おそらく睡眠時間を相当削っていたはず。もし当時Zenlyがあったら、彼女は間違いなく使いこなしていたと思う。
Iのように“束縛することが愛の形”“自分の存在を知らしめていくことが愛情”だと捉えているのなら、どこか歪んでいる気がする。
SNSアプリで友情を育んでいると思っている令和の若者にも、同じような匂いを感じる。アプリ上での拘束は、単なる不安と焦燥感のしわ寄せではないだろうか。