もとはといえば、首相の持病再発と退陣説は写真週刊誌『FLASH』(8月4日発売)が報じた7月6日の吐血情報が発端だ。官房長官の菅が病気を打ち消してきた。もっとも次第に潰瘍性大腸炎の再発が確定情報に変わり、萩生田光一や甘利明、稲田朋美といった首相に近い自民党国会議員たちも、「休めばいい」と声を上げていった。そもそも一国の総理大臣の病気というトップシークレットがこうまで簡単に漏れ、それを肯定するような発言が続くものだろうか。先の官邸関係者は当時の状況について、次のように謎解きをしてくれた。
「あのあたりから総理は親しい人たちが心配して話をすると、『もう辞める』という一点張りになった。麻生先生の静養先である軽井沢にまで総理から毎日電話がかかってきたといいます。麻生先生は『辞めるのはまだ早い』と何度も慰留したけど、『もう菅ちゃんに任せたい』と聞き入れなくなったそうです」
実のところ菅への“政権禅譲”の動きはもっと早くからあったようだが、ことが急展開したのはこのあたりからだという。巷間、指摘されている通り、官邸は間違っても次が石破政権では困る。そのためにどうすればいいか、そこを検討していったようだ。28日午後5時の首相の記者会見が開かれるまでの1週間あまり、取り巻きは説得を続け、駆け引きがあったという。
もとはといえば、首相の腹積もりが自民党政務調査会長の岸田文雄への政権禅譲だったのは、よく知られている。ところが、いつのまにか首相官邸は岸田から菅に乗り換えた。とりわけ安倍の心変わりとして挙げられる原因が、コロナ禍の景気対策「所得制限付き世帯向けの30万円の定額給付金」だ。安倍は、次の首相候補である岸田にハク付けしようと30万円の給付政策を発表させた。にもかかわらず党幹事長の二階俊博が撤回を迫り「全国民の10万円一律給付金」に落ち着いた。これは岸田の調整力の欠如が招いた結果だ、と官邸内の評価が下がり、安倍が岸田に見切りをつけたとされる。
しかし、実態はそうではない。30万円の定額給付金は、経産省出身の今井尚哉首相補佐官を中心に財務省の太田充事務次官らで独自に打ち出した政策である。1人世帯でも5人世帯でも同じ30万円の給付、というあまりにわかりにくい制度だ。そして公明党やその支持母体である創価学会からの批判が殺到する。
つまり30万円の給付は経産出身の官邸官僚が立案し、首相自身が彼らに任せた政策なのである。したがって本来、そこに不満が出たら、創価学会との太いパイプを自任する官房長官の菅や党幹事長の二階が抑え込む役割を担う。