首相の辞任会見で安倍は表向き後継指名こそしなかったが、「総裁選びは党に一任する」と言った。それは責任者の二階幹事長が、党員投票なしの緊急総裁選に決定することを前提とした話だ。実は両院議員総会などによる総裁選は、もともと岸田へ政権禅譲をしようとしたとき検討した方法でもあるのだという。
形ばかりのまさに茶番、これを密室談合の出来レースと呼ばずして、何といえばいいのか。そして2度目の政権投げ出しに対し、「病気だからやむなし、無念だろう」という同情論が巻き起こり、内閣支持率が上がっている。その間に9月の臨時国会で解散、総選挙に流れ込もうとしている。
次期首相確実な菅は、総裁選の出馬会見で、雪深い秋田の農村から高校を卒業し、単身上京して政治家になった自らの泥臭い生い立ちをアピールした。世襲の政治家ではない地方思いの苦労人を自負し、ふるさと納税の旗振り役として、地方の活性化を訴えてきた。
しかし、本人の政策からはそんな泥臭さを感じない。むしろ政策の根っこは、新自由主義と称される市場原理主義にあるのではないだろうか。菅には格差社会を生んだアベノミクスの反省はない。
まさに姑息な「居抜き乗っ取り内閣」の誕生である。
※週刊ポスト2020年9月18・25日号