「ハダカはいいものだ」
つまり、聡明な秋吉にとっては、それまでのスタア女優にとっては「一世一代の覚悟」を要した「脱ぐ」という行為に何のためらいも罪悪感もなかった。ヒッピー文化を愛した彼女にとって、自然に裸体をさらすということは、それ自体が自由や解放の符牒であって、そういう意味で「ハダカはメッセージである」のだった。しかも、秋吉はしばしば「ハダカはいいものだ」とさえ言う。彼女はティーンの頃に『ロミオとジュリエット』を観て、主演俳優たちのバストやヒップの豊かさ、美しさを「いいものだ」と率直に肯定した。
デビュー時の秋吉にとっては、ヌードもノーブラも「いいもの」であり、さらにはファッションですらあったので、「脱ぐ」ことに覚悟を求めてきたり、裸像をことさらに煽情的にクローズアップしようとしたのは、古いオトナたちばかりあった。そんな愚かでつまらないオトナたちの視線を感ずる時、せっかく意気揚々と「いいこと」をしているつもりのクミコは不機嫌になった。はるか世紀をまたいだ今、われわれが秋吉の美しい裸身を見るまなざしは、はたして秋吉自身の自然さ、自由さに追いついたであろうか。
●『秋吉久美子 調書』 秋吉久美子、樋口尚文/著 筑摩書房刊
・刊行記念特集上映「ありのままの久美子」が10月17~30日にシネマヴェーラ渋谷にて開催予定。
※週刊ポスト2020年10月2日号