ジュリーやピー、トッポのルックスがいまでいうアイドル的なものであり、しかし、タローやサリーが重石になって、音楽的才能にも優れていたザ・タイガース。私にとって、岸部さんの印象は、『西遊記』の沙悟浄ではなく、「ザ・タイガースのサリーの弟のシロー」の方が強いのです。
ザ・タイガースに加入したときのことも鮮明に覚えています。トッポの脱退で誰かメンバーを入れなければならないということになったとき、お兄様のサリーは「シロー」の名前を出すのを最初は遠慮したと聞いています。
しかし、もともとはザ・タイガースのバンドボーイだったシローについて、ほかのメンバーはすぐに「OK」「ウエルカム」だったとのこと。当時、アメリカに留学していたシローにサリーが電話をして呼びつけたのでした。
当時、シローはアメリカで音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の音楽特派員としての活動をしていたそうです。同誌の編集長は星加ルミ子さん! 音楽評論家の木崎義二さんや、あの大橋巨泉さん(享年82)と共に『テレビディスコティクショー ビートポップス』(フジテレビ系)のMCをなさっていました。もう昔話が止まりません。“和製ポップス”と洋楽をいいあんばいで紹介していた同番組。フロアで踊っていらしたのは「振付師」の藤村俊二さん(享年82)でした。
シローに話を戻しますね。シローが加入してから、キャーキャー言われていたザ・タイガースには、ヒッピー的な雰囲気がプラスされ、新しいステージに上ったのは確かです。でも、シローは、いまでいう“エアギター”だったんですよね。それがバレて、タンバリン担当になるというお茶目なエピソードもありました。そのタンバリンも実は音が出ないように加工されていたとか(笑い)。
“借金取り“が本番中にスタジオに押しかけてきたことも
ザ・タイガース時代の話になると本当にそればっかりになってしまうので、そろそろ『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)でのエピソードに移りたいと思います。沢田亜矢子サン(71才)に代わって1984年から13年半にわたって同番組のMCを務めていた岸部さん。なんと私、共演させていただいています!
後期、10時台後半に「第3部」というローカル枠があって、そこに時々出演させていただいたのです。すごく覚えているのは、ダイエット特集のときに私が「これまで、ダイエットにベンツ1台分くらい、費やしている」とコメントしたところ、岸部さんがすかさず、「ベンツと言っても、いろいろクラスがあるでしょ? 1000万円以上ということ?」と聞いてこられたときでした。