独特の美的感度を持つ石田純一(写真/時事通信社)
秋吉も、バブルで「美的感性」が養われたと振り返る。
「石田(純一)くんが冬でも素足でローファーを履くように、29年生まれはみんな美的感度が高いんじゃないですか。バブル時は『anan』や『non-no』『POPEYE』が飛ぶように売れて、日本のアパレルメーカーが作ったDCブランドも出てきた。テレビで放映されているパルコのCMが本当におしゃれでした。1980年代はそうした様々な新しいおしゃれを取り入れ、試行錯誤しながら果敢に泳いだ時代でした」
秋吉が追憶するように、バブル時代の広告をけん引したのがパルコだった。パルコに魅入られ、落語の独演会「志の輔らくごinパルコ」を始めたのが、広告代理店を退職し29才で落語界に入った立川志の輔だ。志の輔の長男で、梅干しのプロデュースなどを行う会社「BanbooCut」代表の竹内順平さんが言う。
「上京したばかりの父は『パルコ劇場ではこんなに毎日、面白い舞台をやっているのか』と驚きを受けたそうです。そうした催しに刺激されてか、若手の頃は逆再生すると落語に聞こえる音声をライブ録音したり、大型モニターを複数並べてコントをするなど、斬新な発想で舞台を作っていたことを聞くと、子供ながら尊敬します。
当時、『古典落語は江戸時代からずっと残ってきたものだけれど、それだけでは何かを伝えられないときに新作を生み出すんだ』と語った父の話が胸に残っています。アイディアが転がっていた時代でした」
若くしてバブルを経験した29年生まれは、楽しさや豊かさを享受しながらも、常に上の世代から締めつけられた世代でもあった。豊田さんは「彼らはいつでも“出る杭”だった」と振り返る。
「29年生まれは、団塊やそれ以前の世代が『こうあるべきだ』と思うもののふるまいや行動とは異なることをしてきた。それはオイルショックや学生運動の終焉など、時代背景ゆえに仕方のないことではあったものの、上の世代からは『目立ちやがって』と疎まれた。一方の29年生まれも自分勝手な団塊の世代を嫌って彼らとは距離を置きました。だからこの世代は、団塊の連中に振り回されて大変だったという思いを共有する、同世代との横のつながりが強いんです」(豊田さん)
片岡も横のつながりに心救われていると語る。
「29年会を立ち上げたのはぼくらがちょうど50才の頃です。先輩がたはまだ現役で、下からは突き上げがあって板挟みになる年代でした。共通点は29年生まれというだけで出身も仕事もバラバラだったけれど、同じ時代を生きてきたにおいを感じて、何でもない近況報告を話すだけで心安らぎました」
※女性セブン2020年10月8日号