有望球児たちがくぐれなかった門…(慶應三田キャンパス、時事通信フォト)
新型コロナウイルスの影響で、今年はプロ志望届の提出期間が例年より長く設けられた。また慶応も面接試験がなくなり合格発表が早まった。その結果、不合格後の志望届提出が可能となり、奇しくも「慶応の滑り止めでプロ入り」という形になった。高橋は言った。
「落ち込んでいても何も変わらない。しっかり次の目標に向かいたい。12球団どこでもOKです」
プロ入りを希望しながら指名されずに進学・社会人入りを決めた球児は数多く見てきたが、その「逆」は前代未聞だ。
翌10月7日、私は早稲田大のグラウンドで、小宮山悟監督(元千葉ロッテほか)と話す機会があった。ライバルである慶応を受験した大半の球児が不合格になった可能性を告げると、「えっ、ほんと?」と絶句し、こう話した。
「驚いています。これは六大学野球にとって大きな損失ですね。慶応の体育会に逆風が吹いている。しかし、だからといってすぐにプロ志望届を出すというのも、それぐらいの情熱しかなかったから、ダメだったんじゃないかと見られても仕方ない」
早稲田に憧れ、早稲田にこだわり、2浪の末に合格した男の言葉は重い。
慶応は伝統的に運動能力にだけ長けた高校生を積極的には受け入れてこなかった。特待生もゼロで甲子園のスターであっても、合格の保障はない。
今回の結果も、「慶応らしい」といえばそれまでだが、野球部から声のかかった球児は他の進路を絶っており、早い球児となれば1年前から「慶応一本」に絞ってAO入試に備えてきたのだから無情にも思えてしまう。
慶応のAO入試は、募集要項だけでも36頁におよび、提出書類も複雑だ。志願者は志望理由や入学後の学習計画、自身の活動の資料──たとえば、球児なら掲載された新聞記事やボランティア活動の書類などを提出する。